西川ヘレン 泣き笑い多重看護壮絶人生
(1)生い立ち-家族・家庭への憧れ-
◇私は,アメリカ人の父と日本人の母のもとで生まれた混血。母一人子一人の家で育った。母は和裁をして私を育てた。小学校では平等のハズであったが,実際は遊ぶことも勉強することも平等に扱われなかった。
◇そんな状態だったので,人一倍,家族・家庭への憧れが強かった。そのため家に一人閉じこもり,人形相手にままごとをして遊んだ。ノートは,家の見取り図でいっぱい。
(2)西川きよしとの出会い
◇母を幸せにしようと吉本興業に入り,ヘレン杉本として頑張った。そんなある日,扁桃腺で40度の高熱で倒れ,同じ吉本に所属していた売れない若手芸人・西川きよしの家に案内され看病された。破れて綿が出ていた蒲団に寝かされたが,生まれて初めて寄せてもらった家。きよしの父をはじめ,みんなから「大丈夫か!」と声をかけられ,感激した。
◇きよしは,高知生まれの高知育ち。父が他人の保証人になったことから破産し,何もかもがなくなって,一家は着の身着のままで大阪へ。牛乳配達や新聞配達で食いつないでいたが,やがて吉本に入った。
◇そんなきよしに惚れて,私の方から一緒になってほしいと申し込んだ。しかし,きよしは,「ギャラが合わん。女房より稼ぎが少ないのでは男がすたる」と応じなかった。当時の私のギャラは月20万円あったが,きよしは5500円。そこで,2人で吉本の社長に,なんとか仕事をもらえませんかと頼み込んだ。
◇昭和42年,21歳で所帯を持ち,6畳一間の生活からスタート。転々としたが,死に物狂いで働いたお陰で,やがて風呂・テーブルの付いた公団住宅に入ることができた。坂田利夫が頻繁に出入りした。24歳の時,堺に玄関のある一軒家を建てた。嬉しかった。そこへ,きよしの両親と私の母の3人を引き取り,老人3人との同居生活が始まった。現在は箕面市に引っ越し,そこに住んでいる。
(3)老人3人と一つ屋根の下で
◇4世代同居。最大15人の大家族。一つ屋根の下には,良いことも悪いことも詰まっている。
◇朝,ご飯を炊き,ご先祖様に仏飯を備え,孫・ひ孫と一緒に「南無阿弥陀仏」を唱えるのが日課。
◇実母92歳,義父86歳,義母82歳。3人の老人介護に明け暮れ,心身が疲弊する日々が続いた。義母は認知症で,「アンタ,誰?」の世界。義父は胃潰瘍からうつ病となり,寝たり起きたりの生活。
◇年寄りはわがままだから,自分の生活リズムを変えようとはしない。義父の朝食は4時,昼食は10時,夕食は3~4時。こんな調子だから,一日中食事の準備をしなければならない。
◇出無精の義父を桜見物に誘ったら,義母・実母もついてきて,老人3人を連れてお出かけ。各々勝手なことを言うので本当に困ったが,みんなが喜んでくれたので,生きる喜びを感じた。そのうち義父がおむつに便をボトボトこぼしたので,公衆トイレに駆け込んで,お尻を拭いてあげた。
◇義父と実母が寝たきりになった。実母であっても,ビチャビチャになっているのに,おむつを換えていらないと言い張る。物は言いようで,「私が赤ん坊の頃,おむつを換えてもらった。だから今度は,私にもやらせてほしい」と言ったら,やっと納得してくれた。
◇便が出にくい時は,手袋をしてワセリンを付けて,「掻き出し」をする。父母は思わず,「臭いなぁ」と漏らす。父母の言葉の一つ一つが身に沁み入る。
◇私自分も疲れ果てて,血圧が200~210にも上がったことがあった。重症の更年期障害にもかかった。
(4)実母の看取り
◇実母は脳梗塞を患い,最後の正月を迎えた。子供・孫も加えて,家族全員が交代で看病した。誰一人,無視する者はいなかった。
◇4月18日,ついに他界。息子は,「おばあちゃんは,みんなの心の中に生きている」と叫んで号泣した。これが,何十年もかけて積み上げてきた重みだったのだと思う。
◇棺桶の母を見て,義父は,「わしゃ死んでもあの中に入りたくない」と言ったが,2年後にそこに入ってしまった。
(5)お世話させていただいたことに感謝
◇恩ある人のお世話をさせてもらうことは“年輪の一つ”。3人の父母の介護をさせていただいたことに,心から感謝している。
◇それにしても,けんかもよくした。女3人が台所にいると必ずけんかになる。食べ物の作り方などは,各々の言い分が違う。
◇とうとう夫(きよし)が,「3人でようもめとるなぁ」と中に入って,各々の持ち場を決めたらどうか,と提案してくれた。私が台所,母二人が洗濯,掃除と分担して,なんとか収まった。
◇一つ屋根の下で,どう生きるかどう住まうか,父母の姿を見て,“歳をとる”ということを教えられた。それができたのも,大黒柱(きよし)がしっかりしていたから。
◇家族っていいなぁ!以上。
賛否両論あるにしても,女の夢,嫁の立場,母親の役割,そして妻としての責任‥‥。彼女が自らの生きざまを通して切々と語る思いには,実に多くの教訓が秘められています。私には大きな驚きでした。
へぇー,西川ヘレンとはこんな人だったのか。誰もが簡単に真似のできる生き方ではない。持って生まれた人柄なのか,それとも生い立ちの不幸がこんな人格を形成したのか。多分その両方なのでしょうね。
そして本人も語っているように,夫・西川きよしの存在(信頼,援護)が大きかったに違いありません。彼については,横山やすしと組んだ名漫才師,参議院議員にもなった人気芸人の一人,との認識しかなかったのですが,今般,大いに見直した次第です。
それにしても,さすがは元芸人。泣いて笑って,聞いている人を惹きつけてやまない,そのしゃべりには,ほとほと感心いたしました。
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