2014年10月30日木曜日

お世話させていただいたことに感謝 ー多重介護”の壮絶人生ー

西川ヘレン 泣き笑い多重看護壮絶人生


  

 (1)生い立ち-家族・家庭への憧れ-

 ◇私は,アメリカ人の父と日本人の母のもとで生まれた混血。母一人子一人の家で育った。母は和裁をして私を育てた。小学校では平等のハズであったが,実際は遊ぶことも勉強することも平等に扱われなかった。

◇そんな状態だったので,人一倍,家族・家庭への憧れが強かった。そのため家に一人閉じこもり,人形相手にままごとをして遊んだ。ノートは,家の見取り図でいっぱい。
 


(2)西川きよしとの出会い

 ◇母を幸せにしようと吉本興業に入り,ヘレン杉本として頑張った。そんなある日,扁桃腺で40度の高熱で倒れ,同じ吉本に所属していた売れない若手芸人・西川きよしの家に案内され看病された。破れて綿が出ていた蒲団に寝かされたが,生まれて初めて寄せてもらった家。きよしの父をはじめ,みんなから「大丈夫か!」と声をかけられ,感激した。

◇きよしは,高知生まれの高知育ち。父が他人の保証人になったことから破産し,何もかもがなくなって,一家は着の身着のままで大阪へ。牛乳配達新聞配達で食いつないでいたが,やがて吉本に入った。

◇そんなきよしに惚れて,私の方から一緒になってほしいと申し込んだ。しかし,きよしは,「ギャラが合わん。女房より稼ぎが少ないのでは男がすたる」と応じなかった。当時の私のギャラは月20万円あったが,きよしは5500円。そこで,2人で吉本の社長に,なんとか仕事をもらえませんかと頼み込んだ。

◇昭和42年,21歳で所帯を持ち,6畳一間の生活からスタート。転々としたが,死に物狂いで働いたお陰で,やがて風呂・テーブルの付いた公団住宅に入ることができた。坂田利夫が頻繁に出入りした。24歳の時,堺に玄関のある一軒家を建てた。嬉しかった。そこへ,きよしの両親と私の母の3人を引き取り,老人3人との同居生活が始まった。現在は箕面市に引っ越し,そこに住んでいる。

 

(3)老人3人と一つ屋根の下で
 

4世代同居。最大15人の大家族。一つ屋根の下には,良いことも悪いことも詰まっている。

◇朝,ご飯を炊き,ご先祖様に仏飯を備え,孫・ひ孫と一緒に「南無阿弥陀仏」を唱えるのが日課。


◇実母92歳,義父86歳,義母82歳。3人の老人介護に明け暮れ,心身が疲弊する日々が続いた。義母は認知症で,「アンタ,誰?」の世界。義父は胃潰瘍からうつ病となり,寝たり起きたりの生活。


 年寄りはわがままだから,自分の生活リズムを変えようとはしない。義父の朝食は4時,昼食は10時,夕食は3~4時。こんな調子だから,一日中食事の準備をしなければならない。
 

◇出無精の義父を桜見物に誘ったら,義母・実母もついてきて,老人3人を連れてお出かけ。各々勝手なことを言うので本当に困ったが,みんなが喜んでくれたので,生きる喜びを感じた。そのうち義父がおむつに便をボトボトこぼしたので,公衆トイレに駆け込んで,お尻を拭いてあげた。

◇義父と実母が寝たきりになった。実母であっても,ビチャビチャになっているのに,おむつを換えていらなと言い張る。物は言いようで,「私が赤ん坊の頃,おむつを換えてもらった。だから今度は,私にもやらせてほしい」と言ったら,やっと納得してくれた。

◇便が出にくい時は,手袋をしてワセリンを付けて「掻き出し」をする。父母は思わず,「臭いなぁ」と漏らす。父母の言葉の一つ一つが身に沁み入る。

 

◇私自分も疲れ果てて,血圧が200~210にも上がったことがあった。重症の更年期障害にもかかった。
 

(4)実母の看取り

 ◇実母は脳梗塞を患い,最後の正月を迎えた。子供・孫も加えて,家族全員が交代で看病した。誰一人,無視する者はいなかった
 

◇4月18日,ついに他界。息子は,おばあちゃんは,みんなの心の中に生きている」と叫んで号泣した。これが,何十年もかけて積み上げてきた重みだったのだと思う。

◇棺桶の母を見て,義父は,「わしゃ死んでもあの中に入りたくない」と言ったが,2年後にそこに入ってしまった。

(5)お世話させていただいたことに感謝
 


◇恩ある人のお世話をさせてもらうことは“年輪の一つ”。3人の父母の介護をさせていただいたことに,心から感謝している。
 

 ◇それにしても,けんかもよくした。女3人が台所にいると必ずけんかになる食べ物の作り方などは,各々の言い分が違う。

◇とうとう夫(きよし)が,「3人でようもめとるなぁ」と中に入って,各々の持ち場を決めたらどうか,と提案してくれた。私が台所,母二人が洗濯掃除と分担して,なんとか収まった。

一つ屋根の下で,どう生きるかどう住まうか,父母の姿を見て歳をとる”ということ教えられた。それができたのも,大黒柱(きよし)がしっかりしていから。

◇家族っていいなぁ!
以上。

 

賛否両論あるにしても,女の夢,嫁の立場,母親の役割,そして妻としての責任‥‥。彼女が自らの生きざまを通して切々と語る思いには,実に多くの教訓が秘められています。私には大きな驚きでした。

へぇー,西川ヘレンとはこんな人だったのか。誰もが簡単に真似のできる生き方ではない持って生まれた人柄なのか,それとも生い立ちの不幸がこんな人格を形成したのか。多分その両方なのでしょうね。

そして本人も語っているように,夫・西川きよしの存在(信頼,援護)が大きかったに違いありません。彼については,横山やすと組んだ名漫才師,参議院議員にもなった人気芸人の一人,との認識しかなかったのですが,今般,大いに見直した次第です。

それにしても,さすがは元芸人。泣いて笑って,聞いている人を惹きつけてやまない,そのしゃべりには,ほとほと感心いたしました。  

西川ヘレンの“泣き笑い多重介護”の壮絶人生 | 蓼食う虫の記 より抜粋

 

人も羨むばかりに幸せそうな西川家大家族。が、その日常は、80代90代の3人もの老人介護に明け暮れる。そしてヘレンママも重症の更年期障害で倒れた。ファミリーの団結で挑んだ泣き笑い多重介護の壮絶レポート。
  人も羨むばかりに幸せそうな西川家大家族。だが、その日常生活は? 実母92歳、義父母86、82歳……3人の老人介護に、明けても暮れても心身が疲 弊する日々。そして、ヘレンママも重症の更年期障害で倒れた!度重なる救急車出動、夫婦で話し合っても深刻な破綻に陥るばかり。ついにヘレンは、自殺を決 意して家出したこともあった。しかし、そこには、恩ある人に心尽くしのお世話を果たし、愛する人の最期を家族で看取ることの尊さに対する揺るぎない信念が あった。「"老人病棟"と化している我が家の現実を、ヘレンは何一つ包み隠さず綴った」(夫・きよし氏)。ファミリーの団結で挑んだ、壮絶にして感動的な 泣き笑い多重介護・看取りドキュメント! 

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テレビで西川夫妻のトークショーを見てとてもヘレンさんに感動しました。

生きている限り、 感謝で人のお世話をして 生きた証しとして自分の年輪を美しく輝かせたいものです。 ヘレンさんのように、、、