2012年8月8日水曜日

ユダヤ人に嫁いだ日本人妻 奮闘記



暑中お見舞い申し上げます。

 忙しい毎日でやっと久々の更新です。 
 
 実は 2週間前に義母が亡くなり、 6日前にイングランドから帰ってきたところです。
義母も私たちも、10月の83歳のバースデーパティを共に祝いするのを心から楽しみにしていた矢先のことです。

  7月 第4金曜日の夜 ロンドンにつきまして 翌日土曜日 義兄とともに シネゴに行きました。

 ラバイは 私たち5人家家族の土曜日の礼拝参加を 遠くから来てくださりありがとうと言って よろこんでくださいました。
 
 日曜日は 義母のお葬式で おじ 従兄弟夫婦たちが 来てくださいました。
イスラエルの親戚以外は 親戚がそうぞろいしました。 イスラエルからはそれぞれに電話が入りました。

 神の国壮健のために 礎となる家庭を築くことを誓うユダヤ教の結婚式にも感動しましたが、 ユダヤ人のお葬式にも感動しました。

 神の身元へと導いてくださいという お葬式のみ言葉の本を ヘブル語と英語で唱和します。 昨日と同じ ラバイがリードします。

 実は、このラバイはリホーム型のユダヤ教で 義両親の町にこられたとき 一番最初のメンバーが 義両親だったそうで 教会を建てるために協力したそうです。
それには びっくり。

 キリスト教が ギリシャ正教と カソリックとプロテスタントに分かれたように ユダヤ教も 形式ばったオーソドックスと、より自由なリホーム型と いつも黒い服をきて耳の髪をカールしているユダヤ教から異端視されているグループと大きく分けて3つがあるようです。

 現在のユダヤ教はまったく形式化していますが、 されど 神がヤコブから2000年にわたって築きあげた神様の苦労の結実である冠婚葬祭の伝統は さすがです。

 神様に対する 誓いや唱和のすばらしい内容に感動したことを夫に話しましたが、 夫が言うには誰もそんなところに意識する者はいないとのこと。 残念!

 今回 家族全員が義母のお葬式ゆえに集まることができました。 多くの親戚にも会えました。

 10年前 夫の従兄弟の息子の13歳のお祝いパーティのとき、パーティで初めて夫の親戚に会った私は、 300人のユダヤ’人が集まるパーティで、 たった一人の日本人 異邦人なんだと孤独さをひしひしと感じました。 もう一人の従兄弟の奥さんから無視され続けました。 今回は抱き合って再会を喜び合いました。

 義母に初めて会ったとき あなたは私の息子を取ったといわれました。 
 
 2ヶ月ほど前に義母は電話で私に””Rayはかわいい私のベイビーだけれど、 あなたにあげます。
私は もういらない。”と言って下さいました。 ユダヤの母親は決してあきらめないので有名だそうです。 やっとあきらめて私に譲ってくれた義母です。 

 そして、 また こんなことも言われました。
”Rayは家族を養う十分なお金を作っているので、 あなたが作るお金はRayに渡さないで全部キープするように、 家庭のために妻はたくさんのお金がいるのだから、、”
本当に心から私を受け入れてくださったように思いました。

 夫にその’ことを話しましたら、”母さんは私を裏切って あなたの方についてしまった。”と冗談を言いました。
 
 ヤコブの勝利を実感しました。 ヤコブは21年で勝利しましたが、 私は義母を愛することに勝利するのに30年かかりました。(ヤコブはユダヤ’人の先祖で 自分を殺そうとしてくる兄エソウに21年目に 愛で勝利しました。)

 義母がいてくださったおかげで 私の実親に尽くせなかったことを 義母を通して 決して十分とは言えませんが 親孝行の真似をすることができました。
そして、実親に対する恨みも溶かすことができたように思います。

 最後の日は みんなでオリンピックパークに行きました、 道中偶然、アメリカのマラソン選手と電車なかで話すことができました。


 写真の中央はアメリカマラソンオリンピック選手 周りの3人は私の子供たちです。


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