2015年2月23日月曜日

愛の言葉で極寒を乗り越えよう!


私、良妻賢母に憧れていまして、 今もがんばっております。
それで、悪女についても研究しております。 勿論、反面教師としてですけど、、

そこで、悪女として名高い日野富子。 彼女は足利7代目の将軍善政の正室ですが、なんと彼女、
良妻賢母だったみたいですよ。

政治に全く関心のない女たらしの夫、待望の息子も女たらし。 それでも許し、愛し、、、
ある時、側室の取り合いで、父親と息子が断絶状態に、、、。
それでも、 必ず家庭をまとめて、国をまとめようと、あきらめず努力し続けた富子。

酒と女におぼれる夫 息子将軍をささえるため、つまりは財政再建の為に立ち上がります。関所を作り、高利貸しをやり、買占めをやり、なりふりかまわず金を貯めました。
これが悪女と言われた理由の一つ。もう一つは 天皇と関係を持ったとか、持たなかったとか、

そして、将軍の跡継ぎ問題で応仁の乱が10年続き、京都は焼け野原、その時富子は、敵味方両方に大金(今の1億円以上)をただ同然で貸して、 戦争を終結させるのでした。

夫は政治から逃げて、銀閣寺を建てて、 ワビさびの世界へ、しかし、富子は政治の一手を握るのでした。

そして念願の家族が一つにまとまるのは、皮肉にも息子が病に倒れたときだったのです。

しかし、 彼女が亡くなる前に語った一言に私は、感動させられました。

「私が今日まで生きながらえたのは、 夫義政あってのことです。」 スゴイ!!

どうして?! そんな言葉が言えるの??? 
あんなに、苦労させられたのに、、、なぜ? 
やっぱり、愛していたんでしょうね。 素晴らしい!

しかし、 富子のように、夫が亡くなってから言うのではなく、 夫が生きている今、それを言ってみようではありませんか? かわいい良妻となるために、、

たとえば、

「私、あなたなしでは生きていけないわ。だって

コンピュータが壊れたとき、 いつもあなたに直してもらっているでしょ。

それに

オリーブオイルの蓋とか ビンの蓋、 いつも空けてもらっているし、それから、、

オンラインショッピング、 あなたのカード、必要でしょ。(上目づかいに)

高い所にあるものを取る時だって、

もう、なにもかもよ 。

それに、 何よりも

私、 ひとりでベッドに入るのは寒すぎるわ。
だから

I Need You!

とコンナ感じ。

もう、どんどん言っちゃいましょう。 だってタダなんですもの。

2月はバレンタインデーの月、 愛の月。
愛の言葉で極寒を乗り越えよう。

ちなみに、ご主人様が霊界に行かれている方、お写真の前で毎日愛を囁くのはどうかしら。
霊界のご主人,熱くなって、きっと、あなたを暖めてくださるはず。

もうすぐ、 春、 早く来てくれないかなぁ~。



 

2015年2月2日月曜日

「美智子、 家族でタイへ行く。」の巻き

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            バンコクで一番大きな寺院で、まぶしそう、、

東南アジアのタイでの結婚式に参加する為、 日本からタイに行きました。(タイに行く前に日本に寄った。)

 バンコックで見たのは、 ナント!ナント! 走っている車のほとんど全部がピカピカの日本車なのです。 実際、 日本車以外は、私見てません。

 日本が道路を造って、 インフラ整備をして、車を販売してきたんだなぁ~。とつくづく 思いました。
がんばってきたんだなぁ~。

 義兄のお嫁さんも、 彼女の従兄弟も、そしてその友達も、みんなクチを揃えて「日本には感謝している。日本の会社はたくさん給料くれて、ボーナスもくれて、日本語も英語も教えてくれた。だから今、 英語がしゃべれる。」と、、

 タイでは小学校から英語は教えられているが、 外国の会社に勤めないと英語はしゃべれないと。

 象に乗って散歩しましたが、犬小屋よりも少し大きな小屋を見まして、 おお、 ナント! 人が住んでいると聞いて、胸が痛みました。
あんな立派な寺院が建てられているのに、、、

 多くの人は、ハエがたかっている食べ物を食べるのにも意に介さない。Oh No!
スマホを使いこなしながらも、 公衆トイレは水洗ではなく、 ひしゃくで水を汲んで流す。
トイレットペーパーは付いてなくて、 そして有料。

 あ~何とまぁ。日本 アメリカは恵まれていることか。 ここでは当然のことが
そうではないのですから、申し分けない思いが、、、なんとなく、、

 日本が今までがんばってきたけど、東南アジアに対する母の使命は、まだまだ先が長そうです。

 タイは仏教国でいたる所に寺院があります。そして象を崇拝しているところは、 まるでヒンズー教のようです。 日本のワビ寂びとは正反対のキラビヤカな寺院は秀吉好み、イやそれ以上。
そういえば、 大乗仏教と小乗仏教に、インドから分かれて東と南に行ったんだよね。な~るほど、、

 でもビーチの景色は最高!元旦の日の出は忘れられない。
そしてタイフードは激辛で、 冬とはいえ、 Too Hot!なタイでした。

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長女と私がこの象に乗っていて、 散歩の前に長男と次女が餌をあげている。






2015年1月19日月曜日

美智子 家族連れで日本へ行く!!



 12月17日から日本の姉の家に家族5人で行きまして、 クリスマスの日、タイに行き28日の義兄の結婚式に参加して、1月4日アメリカに帰国しました。
日本行きは私にとって9年ぶり、 家族にとっては22年ぶりでした。
その間、数回日本にいきましたが、 実家や親戚の家に泊まることはできませんでした。

 思えば22年前、 幼い子供たちをつれて帰る私に、父 と兄は頑なに会おうとはしませんでした。
そしてその時から10年後の親の葬式も知らされることは、ありませんでした。

 今回、 姉の計らいで家族そろって墓参りできたことは、 今までのことを清算して、新しい出発を意味するものと思いました。

 姉二人と甥と姪3人と姪の子供たち3人つれて露天風呂、温泉での夕食、 その後のカラオケ大会。 家族と姉、 甥とで、マイクの奪い合いのように、どんどん歌いまくりました。
ふだんオトナシイ息子が歌う歌に驚く私、 へぇ~ あんがい やるじゃん。
家族でカラオケ 最高でした。

 姉は私の食べたいもの全て食べさせてくれました。
毎日の日本の朝食、 お好み焼き、 たこ焼き ラーメン 餃子 しゃぶしゃぶ 和牛肉。
姉たちから20年分の愛をいただきました。

 甥のガイドで京都見物と大阪城見物 (大阪城は子供たちだけ 親は疲れて、、)

 夫と子供たちに自分の国、自分の親戚を誇れる私は、幸せを満喫しました。

 外国人が一番行きたい所は京都だそうです。
いたるところに世界遺産。 昔ながらの街並み、 ゴミひとつ落ちていない、 もううっとり はまってしまいました。
行った所は、2000年前に桓武天皇によって建立された下かも神社 700年前足利義満によって 金閣寺
西行法師の建仁寺 などなど、、
 それから感動したのは100円ストアの質の高さ。

そして私たちは クリスマスの早朝、 皆に見送られながらタイへと出発したのです。

つづく




2014年12月5日金曜日

僕が飛び跳ねる理由

 



「自閉症の僕が跳びはねる理由」の作者 東田直樹さんと アイルランド在住の作家デイヴィッド・ミッチェル氏の交流 人と人との出会いは時に奇跡を起こします。 日本の自閉症の少年と アイルランドの作家との出会いから生まれた希望の物語です。

https://www.youtube.com/watch?v=kpZO3cVTTJo
https://www.youtube.com/watch?v=3gtCpBqf63s


今日散歩していたら 14歳になる自閉症の男の子も持つ女性に出会いました。
私は このビデオを見るまでは、 自閉症がどんな病気なのかをあまり知りませんでしたし、知ろうとも思いませんでした。ただ気の毒にしか思えませんでした。

しかし、 このビデオを見て、 神様はみんなを愛してくださっているし、 みんな神様の子供なんだと実感しました。 ヘレンケラーの言葉 「障害者は不幸なのではなく、 ただ不便なだけなのだ。」という言葉を思い出します。

私は自律神経失調症に5回もなりました。 自分の体が自分の体ではなく、 心と体が別々の存在。 という感覚 がよくわかります。 歩こうと立ち上がっても、 突然足が動かなくなる。 眠ろうと思っても眠れない。 一口食べて体が焼けるように熱くなるというふうに体温調節ができなくなる。人が怖くて 外に出れない。 ただ自然と一体化するときだけが平安でした。それは地獄なのです。

自閉症は そんなふうに、 自分の思うように動かなくなった体と一生つきあっていかなくてはならないのです。

ひとりでも多くの方が 自閉症について理解が深まっていけることを祈ります。




 

2014年12月2日火曜日

幸福の黄色いハンカチ

              http://iwiz-movies.c.yimg.jp/im_siggcHvVOkFincTebxiAYcRDlQ---x680/c/movies/pict/p/p/03/57/153702_01.jpg 

 先日 高倉健さんを偲んで、「幸福の黄色いハンカチ」をテレビで上映してました。 
1977年作だそうです。

 ヤクザ上がりで、 今度こそまともな人間になろうと決意して九州から北海道に出てきた島は光江に出会い、 声をかけるのに6ヶ月もかかりますが。 強引に結婚。 
 光江は妊娠したものの、不注意で流産。 それで荒れた島は道端でチンピラと喧嘩して男を殺してしまう。 そして又もや刑務所入り6年。 その時島は光江の将来を思って一方的に離婚。
そして出所する日、「もしもまだ一人でいるなら、 そして自分の帰りを待っていてくれているのなら、
黄色いハンカチを家の前に掲げていてほしい。もし 掲げていないのなら、 きっぱりとあきらめて二度とあなたの前にはあらわれない。」と葉書を出します。
黄色いハンカチは光江の妊娠が確実の時、仕事中の夫に知らせる為に光江が決めたサインだったのです。

「信じて待つ」 なんて美しい行為なんでしょう。 愛の最も崇高な行為ではないでしょうか。
その崇高な行為は 周囲の人々を感化させていくのです。
感動の涙でした。