2013年11月12日火曜日

14年6ヶ月 本当にありがとう。

 私の愛してやまない犬のミリちゃんが11月7日朝亡くなりました。 14歳でした。

 6月から3ヶ月、 私はミリのノミに悩まされました。 例年にない蒸し暑さで フロントラインという虫取りの薬が全く効きませんでした。

 ミリに犬のシャンプーをすると気を失いそうになるので、 それもできず、 あれやこれやと試行錯誤を繰り返して、 8月は毎日 外でバケツに湯をいれて ミリを首まで湯に漬け込んで ノミを取りました。

 そしてミリ専用にバスタオルにくるんで抱っこしながら TVを見たものでした。 本当に生まれたばかりの赤ちゃんのように、、

 9月になって よく効く薬を近所の人におしえてもらい ノミ胎児は終了しました。

 しかし ノミにたくさんの血を吸われた所為でしょうか、その後ミリは急にやせ衰えだしました。
散歩の時間が次第に短くなりだしました。

 私は ミリが安楽死ではなく 自然死 できたら 私の腕の中で安らかに最期の息をして逝ってほしいと願ってました。

 日に日に 食事が量も減りました。 知人から1日水を飲まなくなったら死ぬ。と聞いてました。
それで もう最期と思って、 6日の夜はミリを入れるダンボールの箱とミリを包むブランケットを準備しました。

 7日の朝、私がトイレに行くと ミリは最期の用をたして、 倒れてました。 ふらふらして歩くのも大変なのに、、、
黒い目を大きく開いて、 わたしを見つめました。 「あら ミリちゃん』 と言って 抱き上げて一息して ミリは意識をなくしました。 その後口だけで 数回激しく息をして静かに首をたれました。

 ミリは、私のミリに対する最期の願いを感じていたのでしょうか、死ぬのは マミーの腕の中でと、 冷たいタイルの横たわりながら、 私が来るまで意識を失うことなく 私を待っていてくれました。 1時間でしょうか、2時間でしょうか、

 ミリが逝ってしまって、 3日間泣きました。
ペットの死がこんなにも悲しく寂しいものとは、知りませんでした。 実の親の死を知らされたときも涙はでませんでした。

 たかが犬、 されど ひとつの屋根で共に過ごした家族の一員だったのですね。

 誰よりも先に玄関で人を迎えることを、率先してやってましたね。 皆がミリをドアベルと言いました。

 主人に全てをゆだね、 いつも家族の一人ひとりを喜んで出迎えて
いつも 皆と一緒にいたくて、 いつもハッピーな犬でした。

 息子のJacobが大学から帰ってきたとき、 ミリが走って駆け寄ったのに、 ミリに気づかず、友達と車で行ってしまったJacob そのときのミリの がっかりした様子で玄関に向かって歩ていくのは とても気の毒でした。
 それでも家の中にはいったら ハッピー態度に180度一変するのには 犬ながら、すごいと思いました。 ネガティブ スピリッツを引きずらないのは すごい。


 5年前 病気上がりの私は 健康のため 毎日1時間ありがとうを唱えながらミリと歩くことを日課としました。

 ミリはおとうさんと歩くときは 早足で、 私と歩くときは ゆっくりと、 いつも相手にあわしてくれました。 お父さんと歩いた後でも また私と歩いてくれました。

 雨の日 雪の日も散歩しました。 ある日 ミリの体が凍って 輝いてきたことがありました。
家について 傘をたたむと バリバリと音がしました。 あの時は申し訳なかったです。

 仕事から帰ってきた夫と一緒にソファに座りたくて、 トイレの前でお父さんを待ってましたね。

 私たちが夫婦が一緒にソファに座っていたら、 よく割り込んできたっけ、

 よく夫はミリのこと 自分のガールフレンドと言いました。
とにかく 夫を付回すのですから、、、

 ある日 夕方車から出てきた夫の脚に抱きついて 離れないミリ。 夫は、びっこを引きながら
「自分のワイフからもこんな風に愛されたい。」 なんて言わせたニクイ犬。

 ただただ 一心 いちずに 主人と共にいることのみを喜こび、 そして 決して自己主張することなく 静かに私が気づくのをまってくれました。

 私の長電話もお腹が減っているにもかかわらず、隣で静かに 待ってくれました。
待って待って もう待てなくなったとき、  餌がないと お椀を放り投げることがあったけど、、、

 ミリ 私にたくさんのことを気づかせてくれましたね。
14年6ヶ月 本当にありがとう。 ミリちゃん あなたは まるで神様の使い?だったのかしら、、なんて思うのです。

散歩して ミリの死を近所の人たちに話しました。 皆とても残念 がってくれました。 目に涙を浮かべて聞いてくれる人の数人いました。

ご近所2軒からは ミリに花束もいただきました。

 ミリは 新しい家(引越し先)の裏庭に眠っています。