2012年12月30日日曜日

遅ればせながら,,,,, ありがとう!



 私たち家族が今住んでる家に引越ししてきたのは、 末っ子が幼稚園に入ったときでした。
あれから17年もたったなんて信じられない。

 子供たちの成長、 そして私の母親としてのユルヤカな成長を見守ってくれた家。
私の創造性をふんだんに引き出してくれた家。 だって、 いろいろと工夫と修理が必要だったし、 庭は草ぼうぼうの荒地だったし、 今では春になるとご近所から褒められて感謝される庭にまでなりました。

 でももうすぐ この家ともお別れする時が来ました。 新しい家はまだ探し中だけど、 今まで夫が1時間かけて仕事に行っていたのが15分弱になるはずだから、 彼の為に、 そして彼をハッピーにしてうれしい私の為に、 乾杯!

 愛犬ミリちゃんと毎日1時間散歩しているけど、 近所の人たちさびしがるでしょうね。
お隣のキャロルは 「あなたの笑顔の挨拶が見られなくなるなんて、さびしい。」と言ってハグしてくれました。

 人生 全てに感謝できなくなった頃、 住む家があるだけでも感謝しよう。 無理やり思ったことがあったけ、、

 古いジャケットにサヨナラしたくないのは、愛着心か、 それとも執着心か、、

 サヨナラはコンニチハを前提とした言葉だから、 新しい家では 新しい出会い、 新しいチャレンジ 、 そしてまだ想像もできない、 上品で優雅で美しく年老いた、 10年後の美智子との出会いがあることを信じて、、、

 私が愛した分 美しさとかわいさをチャーミングに返してくれた家でした。 
大きく存在しながらも 、決して存在感を感じさせない、 それに甘えてしまって、 空気のようにあるのが当然のように思ってしまって、、ごめんなさい。

 遅ればせながら、 17年間、家族を雨、風、嵐から守ってくれて、 ありがとう!

私が愛した以上に、あなたを愛してくれる家主さんが住んでくれることを祈っています。

この家にお礼を述べたら、新しい家との出会いにワクワク ときめく  私です。
2013年は 住む環境もガラリと変わって 心機一転です。

A Happy New Year !!!









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2012年12月17日月曜日

神の子としての尊厳性の主張






 下記のリンクをクリックしてください。 インド トルコでの人権問題のビデオです。 28分です。

 福沢諭吉の言葉 「天は人の上に人を創らず、 人の下に人を創らず。」と言う言葉を実感させられました。

今ある自由 平等 人権は我々の先祖から たくさんの犠牲と血の代価を投資して勝ち得たものです。  私たちはそれに感謝するとともに、 さらに人権教育を推し進めていかなければなりません。

人格の尊厳性は 神様から子たる私たち一人ひとりに授けられたものだからです。

お互いを尊重しばければなりません。 しかし、 自己主張と混同してはなりません。
神の子としての尊厳性の主張は、 根底に神様を喜ばすものでなければなりません。 
それはみんながしあわせになることです。 地球上で今 宗教の違い、 女性だから、 貧乏だからと差別されている現実を、 みんなで意識を持って解決していくべきです。

2012年12月12日水曜日

命がけで守られた未来

愛する人を残して




声を出して泣きました。
人類歴史始まって以来、 どれだけの尊い命が犠牲になってきたことでしょうか。

愛する人を残して戦いに出る戦士、 戦争のない平和な世界を夢見ながら、

今も中東では たくさんの犠牲者が出ている現実、 今もう一度世界平和を真剣に考えるときでしょう。 

世界平和女性連合の使命は大きい。。

2012年12月9日日曜日

一粒の麦の種となって

 

 人の命の重みを 再度確認させられます。 私も一粒の麦の種となって永遠の世界に飛び立ちたいです。

来年 57になる私は いかに生き、 いかに死ぬかを考えさせられます。

2012年12月2日日曜日

メッチャ おもろいやん


  

これからは ACLC メチャおもしろなるでぇ。 みんながACLCにハエがたかるようにくるので、 順番順番 待ってください。 と言って行列整理する人が必要になってくるでしょうね。

その時はどうか私を雇ってください。 漫才でも何でもやったるでぇ~。

2012年12月1日土曜日

♪ 世界に一つだけの花/小田和正

今もう一度謙虚になって、

 

自分の次元で 自分の価値感で一生懸命生きてきた私です。 

 愛犬Millieちゃんのおかげで相手の立場で少しは考えられるようになりました。 Millieちゃんは神様の使いではないかしらとも思うぐらいです。

少しアドバンスですけど、今度は神様の心 神様の立場も考慮できる私になりたいです。

今までどれほど忍耐して私を待ってくださった神様でしょうか。 

長男が小学生だったとき 神様の愛はどこからくるかと聞いたとき、 Millieからくる。と長男は答えました。 私は 親から子に神様の愛が流れて 神様の愛でMillieを愛するんだ。と答えた私は 恥ずかしいです。 神様の愛なんて全くわかっていなかったのに、、、

今もう一度謙虚になって、 万物世界 自然から神様の心を探ろうと思いました。

神様からのメッセージ

2012年11月28日水曜日

これ以上の人生の喜びはどこに


                  

私は 35年前に理想世界実現に自分の命を捧げたいと思い、 統一教会に入会しました。
自分の命を投入しつくしても、 なお価値あるものに出会えた私は 幸せ者です。

しかし 左翼学生たちのように活動家だけで終わるのではありません。

真の愛の人格者を目指し、神の宿る真の家庭を作ることこそが、 天国の礎となることを強調しています。

私自身も身もだえしながら、 そこに到達するために努力しています。
そして努力できる自分を、うれしく誇らしく思えるのです。

これ以上の人生の喜びはどこにあるでしょうか。                                                                                                                                                                             

2012年11月18日日曜日

ありがとう! Millieちゃん。 マミー がんばるね。



 私の家には 14歳になるパーマネリアン種の犬がいます。小型のスピッツのような犬です。
名前は Millieです。

 子供たちべったりの犬でしたが、 大学のため家を出てからは、 私が犬の世話を全部しています。 しかしMillieちゃん、夫が帰ってくると真っ先に出迎えて、 夫に付きまとって夫の膝で休みます。 夫がトイレに行くと、 ドアの前でまっているのですから、
ある日 Millieちゃんを部屋に閉じ込めて、 そして夫を迎えたら、 叱られたことも、、

 私は、Millieちゃんが私よりも夫が好きなことを全く気に留めず、 あきらめてました。
Millieはメスだから、 男が好きなんだと思いもしました。

シカゴに行く数日前のことです。 金魚に餌をやったら、 夫に叱られました。 そんなに音をたてて水槽の蓋をすると金魚がショックを受けるとのこと。
はぁ~、 そんなにふうに金魚の身になったことなかったなぁ、、と思いました。

シカゴから帰ってくるといつものようにMillieちゃん、 夫にジャンプしてジャンプして、 喜びを表しました。 「Millieちゃん、 マミーよ.。」 と言うと、私のところに来るのですが、 夫のところに戻ってまたジャンプ ジャンプ。

 今回は気づかされました。 私に何か問題があるのかもしれない。と、
私はMillieちゃんに義務的にしか接してこなかったのではないかしら、
勿論愛してはいるけど、 行動に愛が伴わなかったとか、

 「Millieちゃん ごめんね。 悪いマミーだったわ。」 と心の中で詫びました。
すると、どうでしょう。 14年間1度も私の膝元にこなかったMillieちゃんが 私の膝で寝だしたのです。

 皆を待っているつもりの私でしたが、 皆に待ってもらっていた私です。
「お母さん いつになったら愛情あふれるお母さんになるの~ 」

『待ちつ 待たれつ』 あっ 『持ちつ 持たれつ』 だったけ。

Millieちゃんは 14年間も不平不満言わないで マミーを待ってくれたのね。
ありがとう! Millieちゃん。 マミー がんばるね。
 


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2012年11月12日月曜日

結婚生活は88年


中国で100歳超の夫婦が記念写真、結婚生活は88年
[南充(中国)5日 ロイター] 中国四川省の村で5日、101歳の夫と103歳の妻が、スーツとウェディングドレスを着て自宅で記念撮影に臨んだ。
写真を撮影したのは、呉従漢さん夫妻。呉さんは白いシャツとジャケット、黒い蝶ネクタイ、黒いズボン、黒い帽子の姿で、妻は白いウェディングドレスとベールを着けて撮影を行った。
2人は88年間結婚しているが、花婿、花嫁姿で写真を撮るのは初めてだったという。
 http://news.livedoor.com/article/detail/7119070/

うわ~ かわい~い。
私たち夫婦もそろって 100歳以上生きるって 手相を鑑定してもたったときに言われました。 45年後の私たち夫婦です。
ところで 101-88=13です。 13歳と15歳だったんですね。
二人で たくさんのことを乗り越えてこられたんですね。

2012年11月8日木曜日

ユダヤ人は ヤコブの子孫ではない???

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/_floorA3F_hb.html

 上記のリンクは物凄く面白かったです。 なんと夜を徹して読み続けてしまったのですから、、

ユダヤ人ということは、 ヤコブの12人の息子たちの一人 ユダの子孫ということなんですね。
そして現在の白人のユダヤ人は ユダの子孫ではなくトルコの上にあったハザール国の子孫(ヤペテ族)だったというわけですから。 

 これで謎がとけました。 ユダヤ人はセム族であるはずなのに、 どうして蒙古班がないのか、 いくら白人と混ざったとしても、どうしてアジア人ぽくないのか、 不思議でした。 ユダヤ人と言っている夫は髪が茶色で目の色は青です。 でも義父は少しアジア系のような気もするけど、、、

 ハザール国はユダヤ教を国教にしてイスラム教がヨーロッパに伸びていくのをストップしたそうです。 
その功労を神が覚えて、(別に神様がイスラム教を疎んじたわけではなく、 神の摂理がユダヤ教からキリスト教に代わったからです。) その子孫を祝福したのではないでしょうか。 ノーベル賞受賞者にユダヤ人が多いし。

 夫にあなたはヤコブの子孫ではないかもしれない。と言ったら その話は読んだことがある。 一度DNAを調べてみたい。と言いました。

 現在のユダヤ人がイスラエルの子孫ではなく、 日本人であることが証明されたら、天地がひっくり返ってしまいそうです。

 しかし 現在のユダヤ人がイエス様を殺してもいないのに、塗れ衣を着せられ、ナチスから虐待を受けたわけで、 その功労と苦労には頭がさがります。

 ちなみに 現在イスラエルでは、 アジア系イスラエル人(たぶん本当のユダヤ人)は差別を受けているとか、、 

 白人イスラエル人が今現在イスラエルで有力なのに、 彼らの先祖がその土地の住民でなかったとしたら パレスチナ人はなんとする??

注) ノアの子孫はセム ハム ヤペテです。 セムは黄色人種 ハムは黒人 ヤペテは白人の先祖です。
    聖書の創世記に セム族はアジアのほうに ハム族はアフリカのほうに ヤペテ族は 地中海に移り   住んだと書かれてあります。


2012年11月6日火曜日

生きるということは、愛することを学び続けること




 週末、長女に会いにシカゴまで夫と共に行ったのは、良かったのですが、 ハリケーン サンディのため、 帰りの飛行機がキャンセルになりまして、  1週間の滞在となりました。 夫は、出張で4日間シカゴからIOWAに車で行きました。 おかげさまで 母子水入らずで過ごすことができて、感謝してます。 しかしNJの友達の 家は、ハリケーンで浸水、そこに置いていた私の車も廃車となりました。 ポジティブに考えて、 ボロ車だったし、、、でも被害にあった方たち、寒い中 皆 大変です。

 私は、娘のいない間 アパートを掃除したり ブラブラとショッピング(娘のためにも買いました。)まるで一人旅のように、、、結構 楽しむことができました。
神様から自分と向き合って、 自分だけを愛する時間を与えられたようです。 娘と一緒に寝ることもできました。 何年ぶりかしら、 一緒のベッドで寝るなんて、、

 そして、  愛情たっぷりの夕食を準備するのですが、 彼女も私に気を使うらしく、「金曜日に帰ってくれるので、うれしい。」 と、はっきり言われました。 そ の気持ちは十分わかるけど、 私だったら面と向かっては言えないけど、、 親は子供にはそうは言えなくても、 子供は親に言えるのかしら? 理解しがた い。

 それで つくづく思ったのですが、 『生きるということは、愛することを学び続けること』 ではないかしら、
聖書にも 愛さないものは、死のうちに留まっている。 という聖句ありましたね。

 どうやら、結婚とは愛の学校の入学式 だったんだなぁ。なんて、今頃気づいている私なのです。

 愛とは、 許し、受け入れ、 そして待つこと。 許すことも、 受け入れることも努力しているわ!
それで、いつまで 待てばいいの~?

 待つは 忍の字のごとく、 心にナイフが刺さっているような状態です。 人生が愛の学生生活であり続けるわけだから、 心のナイフと共に人生を謳歌するのは、なんとも困難極まることであります。

 心と心が次第に通じ合って心のナイフがひとつひとつ取れていくことに感動と感謝の涙を流すのが、人生を本当の意味で謳歌することなのかもしれない。

 徳川家康が 『鳴くまで待とう、ホトトギス 』 と言ったのは有名です。

  関が原の戦いに勝った後も、秀頼と淀君が大阪城にいました。 そして豊臣に付いた40代の西国大名もたくさんいたわけです。 そんな中で60を過ぎた家 康。 長生きのため健康維持の涙ぐましい努力をすること10年。 西国大名はどんどん死んでいって、 遂に迎えた大坂の陣。 戦のない世の中を目指して築 き上げた徳川幕府。

 待つことは、いつか来る勝利のために、 備えることなんですね。 それも忍の一字です。

 ちなみに 家康は健康管理のため 食事制限をしていたのですが、 豊臣を滅ぼした後、 気を許したのか、 食べすぎが原因で死んだそうです。

 目標設定が、 豊臣打倒だったからねぇ。 無理もない。
目標設定を 永遠に朽ちない 愛の人格者にするべきでしたね。 永遠に待つために、、
いや、 永遠に愛し続けるために、、、、







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2012年10月8日月曜日

丹心 ~文鮮明師の真実~ 1/3

今年の ノーベル賞受賞者は、、、




 今年 誰がノーベル賞を受賞するかで騒いでいます。
川端康成は日本初のノーベル賞受賞者です。その後、数人の受賞者が日本から出ています。
川端康成は受賞後、日本文化のおかげです。と謙虚に栄光を日本に返している言葉に感動しました。

 お隣の韓国では、一人も受賞者がでていないそうです。
今韓国では、ノーベル賞を受賞した科学者を招いて 無限の投資をして受賞者を選出させようと試みているそうです。

 そもそもノーベル賞は、世界人類のために貢献した代価として与えられるものであって、 受賞のためにがんばるのは、 動機が逆転しているように思うのですが、 どうでしょうか。

 自国を世界にアピールするが為のノーベル賞は疑問がでてきます。

 オリンピックはスポーツで各国が競い合うのですが、 ノーベル賞はそうであってはならないと思うのですが、、、

 ところで、 統一教会人としての私は、 当然、 先月92歳で亡くなられた文鮮明師ほど、世界平和に貢献された方は、 歴史上にいないと確信しています。

韓国がこのような尊い方を産み出していることに、 一日も早く目覚めてほしいものです

2012年9月29日土曜日

神様からのご褒美

 NHKの朝ドラ 梅ちゃん先生はもうすぐ終わりです。 ストーリーは戦後焼け野原になった東京で、戦争孤児の7,8歳の広君は神社の賽銭を盗んでいました。 それを目撃した高校生だった梅子は広君をいさめます。 

 ある日 広君は腐った物を食べて腹痛で苦しんでいたところを梅子が発見、 彼をおんぶして家まで連れて行って医者の父に治してもらいます。 そこで梅子は人の命を助けることに感動して、一大決心 医者を目指します。

 20年後 町の医者になった梅子は成長した広君に会うのですが、 過労で倒れてしまった広君は 意識のないまま 嘘だ嘘だと叫びました。

 意識が戻った広君は梅子に言いました。 ”昔助けてもらったとき もう死なせてください。生きていても何もいいことなんかないから、と言ったら、梅子 先生は言いましたね。 がんばって生きていたら、きっと神様がご褒美をくださる。 その言葉を信じてどんなに辛いこともがんばってきたけど、神様は何もご褒美をくださらなかった。”

 梅子は母に電話してオハギをつくって持ってきてもらいました。 あのとき広君に元気になって母の作ったオハギを一緒に食べようと言ったのを思い出したのです。

 梅子は広君にオハギを差し出して涙いっぱいにして、 ”このオハギじゃ駄目かな、 神様からのご褒美にならないかな?と言います。


 私もこのシーンでは泣きました。

 梅子の父は、”昔治した患者が元気でがんばっているのをみると励みになる。ありがとう。” と広君に言いました。

 私と同世代の方ですが、統一教会で祝福結婚を して すぐに夫が拉致されて、その後彼女は30年も病に苦しみ 元気になった彼女は言っています。 ”子供はいませんが、私の人生はこれからです。 感謝してます。”

 人が感謝できないところで 大きく感謝できる人は恐ろしい人です。

 広君は梅子の”がんばったら 神様がご褒美をくださる ”という言葉を信じてがんばって生きることができました。 もうそれ自体が神様からのプレゼントではないでしょうか。

 希望を持って 逆境を乗り越えて 前進できるパワーを与えてくださる。 それこそが 私たちを生かしてくださっている神様からのプレゼントであることを、、

 具体的なプレゼントを見ようが見まいが、 希望を持って前進できることに感謝しようと思いました。

 勿論生きていたら、 希望も喜びも見失う時期はありますが、 それでも私を信じて生かしてくださる神様の存在に気づけたら、 乗り越えられるのではないかしら、、、

2012年8月8日水曜日

ユダヤ人に嫁いだ日本人妻 奮闘記



暑中お見舞い申し上げます。

 忙しい毎日でやっと久々の更新です。 
 
 実は 2週間前に義母が亡くなり、 6日前にイングランドから帰ってきたところです。
義母も私たちも、10月の83歳のバースデーパティを共に祝いするのを心から楽しみにしていた矢先のことです。

  7月 第4金曜日の夜 ロンドンにつきまして 翌日土曜日 義兄とともに シネゴに行きました。

 ラバイは 私たち5人家家族の土曜日の礼拝参加を 遠くから来てくださりありがとうと言って よろこんでくださいました。
 
 日曜日は 義母のお葬式で おじ 従兄弟夫婦たちが 来てくださいました。
イスラエルの親戚以外は 親戚がそうぞろいしました。 イスラエルからはそれぞれに電話が入りました。

 神の国壮健のために 礎となる家庭を築くことを誓うユダヤ教の結婚式にも感動しましたが、 ユダヤ人のお葬式にも感動しました。

 神の身元へと導いてくださいという お葬式のみ言葉の本を ヘブル語と英語で唱和します。 昨日と同じ ラバイがリードします。

 実は、このラバイはリホーム型のユダヤ教で 義両親の町にこられたとき 一番最初のメンバーが 義両親だったそうで 教会を建てるために協力したそうです。
それには びっくり。

 キリスト教が ギリシャ正教と カソリックとプロテスタントに分かれたように ユダヤ教も 形式ばったオーソドックスと、より自由なリホーム型と いつも黒い服をきて耳の髪をカールしているユダヤ教から異端視されているグループと大きく分けて3つがあるようです。

 現在のユダヤ教はまったく形式化していますが、 されど 神がヤコブから2000年にわたって築きあげた神様の苦労の結実である冠婚葬祭の伝統は さすがです。

 神様に対する 誓いや唱和のすばらしい内容に感動したことを夫に話しましたが、 夫が言うには誰もそんなところに意識する者はいないとのこと。 残念!

 今回 家族全員が義母のお葬式ゆえに集まることができました。 多くの親戚にも会えました。

 10年前 夫の従兄弟の息子の13歳のお祝いパーティのとき、パーティで初めて夫の親戚に会った私は、 300人のユダヤ’人が集まるパーティで、 たった一人の日本人 異邦人なんだと孤独さをひしひしと感じました。 もう一人の従兄弟の奥さんから無視され続けました。 今回は抱き合って再会を喜び合いました。

 義母に初めて会ったとき あなたは私の息子を取ったといわれました。 
 
 2ヶ月ほど前に義母は電話で私に””Rayはかわいい私のベイビーだけれど、 あなたにあげます。
私は もういらない。”と言って下さいました。 ユダヤの母親は決してあきらめないので有名だそうです。 やっとあきらめて私に譲ってくれた義母です。 

 そして、 また こんなことも言われました。
”Rayは家族を養う十分なお金を作っているので、 あなたが作るお金はRayに渡さないで全部キープするように、 家庭のために妻はたくさんのお金がいるのだから、、”
本当に心から私を受け入れてくださったように思いました。

 夫にその’ことを話しましたら、”母さんは私を裏切って あなたの方についてしまった。”と冗談を言いました。
 
 ヤコブの勝利を実感しました。 ヤコブは21年で勝利しましたが、 私は義母を愛することに勝利するのに30年かかりました。(ヤコブはユダヤ’人の先祖で 自分を殺そうとしてくる兄エソウに21年目に 愛で勝利しました。)

 義母がいてくださったおかげで 私の実親に尽くせなかったことを 義母を通して 決して十分とは言えませんが 親孝行の真似をすることができました。
そして、実親に対する恨みも溶かすことができたように思います。

 最後の日は みんなでオリンピックパークに行きました、 道中偶然、アメリカのマラソン選手と電車なかで話すことができました。


 写真の中央はアメリカマラソンオリンピック選手 周りの3人は私の子供たちです。


2012年6月25日月曜日

岐阜で雨天の下、拉致事件抗議デモ

岐阜で雨天の下、拉致事件に対する抗議デモが決行


 616日、岐阜市内に於いて、国際人権NGOや米国務省から厳しく批判される拉致事件への反対デモが行われました。
 当日は雨天にも関わらず210人が集合し、はじめに金公園内で抗議集会が開催されました。丁 鍾植・拉致監禁対策岐阜委員会実行委員長による挨拶に続いて、鴨野 守対策本部事務局長が、現在も警察による捜索が続く青年教会員について報告すると、熱心に耳を傾けた参加者らは義憤をあらわにしました。
 集会後、抗議のためのデモ行進を岐阜一の繁華街である柳ケ瀬商店街にて実施。デモ隊の先頭には、拉致監禁被害を受けた男性が並び
「拉致監禁はあきらかな犯罪です!」と、多数の通行人に向けて事件の深刻さを訴えました。
 デモ終了後、デモ隊の警備・誘導にあたった警察担当者から、
「自分は今まで、拉致監禁・強制改宗についてあまり知らかったが、今後勉強したい。資料があったら欲しい」との要請があり、デモ主催者から資料が手渡される場面もありました。 

岐阜一の繁華街を練り歩き、抗議の声をあげるデモ隊
雨天の中、国際社会から批判される蛮行の追放を強く訴えた
210名の参加者が心をひとつにした

2012年6月9日土曜日

-We are One Family 指をからめ、握りしめて、歩き出そう !!


[歌詞]

「あの人達は他人だから」って言うけれど
みんな同じ血が通っているんだ
「離れてるから関係ない」って言うけれど
いつも遠くで泣き声が聞こえる

向こう岸へ渉る橋がない ならば一緒に舟を作ろう

We're brothers and sisters,
fathers and mothers
世界中の境界線がなくなれば
孤独はきっと手を取り合って
大きな輪に、家族の輪になるでしょう
We are family, we are family, 
we are family, one family

目を閉じないと見えないものって何だろう
それは想像から起こる革命
言葉なくして伝わるものって何だろう
それは地肌が物語る優しさ

一つしかないパンをちぎるから それを君と一緒に食べよう

We're brothers and sisters,
fathers and mothers
宇宙(そら)から見た人はみんな同じ色
知らない手も家族の手だ
指をからめ、握りしめて、歩き出そう
We are family, we are family, 
we are family, one family
少女の瞳に太陽は昇り 少年の魂に泉が湧く
変化の風が吹き始めた 夜明けはすぐそこに

We're brothers and sisters,
fathers and mothers
世界中の境界線がなくなれば
孤独はきっと手を取り合って
大きな輪に、家族の輪になるでしょう

We're brothers and sisters,
fathers and mothers
宇宙(そら)から見た人はみんな同じ色
知らない手も家族の手だ
指をからめ、握りしめて、歩き出そう
We are family, we are family, 
we are family, one family
We are family, we are family, 
we are family, one famly

2012年5月26日土曜日

佐賀大学の女子学生、大学側を提訴

佐賀大学の女子学生、大学側を提訴

2012年5月25日
 5月17日(木)に教会員である佐賀大学の女子学生とその両親(6000双)は、信仰の自由を著しく侵害され、名誉を毀損されたとして、佐賀大学(佛淵孝夫学長)と同大学文化教育学部准教授・森善宣氏(53)に対して、440万円の損害賠償を求める訴えを佐賀地裁に起こしました。

 訴状によると、原告で同大学4年のAさん(22)が3年在学中の今年2月10日、森准教授の研究室に呼び出された際、森准教授からAさんの信仰を軽蔑・侮蔑する発言を繰り返され、加入しているCARP(全国大学連合原理研究会)及び統一教会からの脱会を執拗に迫られました。

 さらに森准教授は、原告であるAさんの両親の信仰についても言及し、統一教会の合同結婚式を通じて結婚したことを「犬猫の結婚」であり、Aさんの家族の生活は「犬猫の暮らし」などと侮蔑。

 Aさんらは、大学と森准教授に対して、誠意ある謝罪等を求めてきましたが、大学側が応じなかったため、法的手段に訴えることにしました。

 森准教授は、2006年3月にも同大学の元女子学生を深夜まで連れ回し、そのことを注意した家族に殴る蹴るなどの暴行を加えたとして逮捕され、大学から停職6ヵ月の懲戒処分を受けています。

 なお、今回の提訴に関して、5月25日(金)の午後には、佐賀市内で教会側の記者会見が開かれ、地元のメディアのほか、全国紙の記者らが詰め掛けました。

2012年5月22日火曜日

潜在意識を変えることが幸福をつかむキーポイント




なぜ ありがとうを唱えると愛せるようになれるのかというメールが来ました。 夫を愛するのにご苦労されているのが感じられます。

我々堕落人間は潜在意識がネガティブの傾向を持って生まれてくるといっても過言ではないでしょう。
コップ半分の水を半分しかないと思いやすく生まれているのです。
 ですからポジティブ思考ができるように潜在意識を変えるしかないのです。
ポジティブな情報を潜在意識に送り続けることです。

い くら信仰を持っていても、 自己中心を克服して他の為に感謝で自己犠牲をしながら生きていくのは、 容易いことではありません。理想と現実の狭間で地獄を 味わうだけです。  数年前まで 私はそうでした。 人の幸福や成功に嫉妬をする自分でした。 その人の幸せを自分の幸せと感じられるようにしてほしいと 涙ながらに祈ったことがありました。

イエス様も、 悪心に負けないよう 絶えず祈りなさい。と語られています。 祈りと 天国言葉の暗唱は少し似ています。 
私は 潜在意識を変えることが幸福をつかむキーポイントと思います。

 現実はそうではなくとも 愛している。 愛する対象がいて感謝です。 というメッセージを自分の潜在意識に送り続けましょう。

下記は英語の暗唱のブログがら抜粋しました。

英語力アップ:スピーチの勧め 10 暗唱の意味

Date. 2009.06.25  /  Category. Speech


このブログでは、右欄Category/カテゴリー別に
違うテーマの記事を日替りで書いています。
本日のカテゴリーは「Speech」です。
こちらをまずクリックしていただければ、ここまでの
このテーマ記事を全てつなげてから、読むことができます。

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暗誦の秘訣、前回私が書いた事のおさらいから。
英語を覚えるのには、絶対欠かせない根本的なポイント。
それは、、、、、
「細かい意味が分からなくても、覚えるようにすること!」
成人した学習者には、特に大切なことです。
そして、音を通せば、それが可能になります。
その具体的なメソッドのひとつとして
スピーチの暗唱があります。
それに関しまして、以下のようなコメントをいただきました。
「脳科学が発達した現在多くの脳科学者の方が丸暗記は
小さい頃まででそれ以上になったらエピソード記憶を
活用して、物事を理解して理屈を覚えていく方法に
変えていくべきと指摘しています。
丸暗記が中高年にも有効なのか非常に私にとっても
関心のあることなので、なぜ成人にとっても
「意味が解らなくても覚えるようにする」のが効果的なのか
是非教えていただきたいです。」
とても有難い質問です!
私の推奨する暗誦の意味を明確にしやすいからです。
まず、暗誦は丸暗記する事ではありません!
私のいう暗唱の目的は、
暗記する事ではなく言葉の習得だからです。
言葉を覚えるための、
言葉が出来るようにするための、
必要なステップということだからです。
そして、本来あるべき最初の最初のステップは、
意味が明確でない言葉に音として触れることです。
そして、シチュエーションとその音の響き方から
メッセージを感じることです。
同時にその意味を推測し、同じような音の響きが
でるように声に出してみます。
声に何回か繰り返し出すと、その言葉が記憶されます。
記憶された言葉を、意識して使用していく中で、
さらに意味が正確に把握されて、
自分のものになっていきます。
松本亨博士は、「言葉の意味は音にある」
と常々おっしゃっていました。
さらに、博士の著書「英語で考える」にもあるように、
本来言葉の理解とは、「感情的理解」から「知的理解」に
つながるべきものだと。
ところが、成人した学習者は「感情的理解」を飛び越えて
「知的理解」から入り、そこで終了してしまうことで、
英語で考えるようにならない人が多いと。
ここらへんまでのことは、
もっと深く詳細に説明すべきですが、
長くなるので、また別の機会に(笑)。
少し話が堅くなってきているので、
いつも私の「英語マスターセミナー」では、
よく例に出てくる、私の一人息子の例を(笑)。
ちょうど、来月で6歳になります。
(早いものです。最初セミナーで例を取り上げ始めた時は、
まだ2歳でしたから。笑)
いろいろな、生の面白い例を豊富に提供してくれて
います(笑)!
昨日の夜、寝る直前の事です。
彼が、何の前触れも無く、突然私にこう言いました。
「水くさいぞ、先生!」
(ちなみに、彼は私を「先生」と呼びます!笑)
ドキリとした私は、
「何?何が水くさいの?何でいきなりそんなこと???
わかった!
ねー意味わからないのに使っているんでしょう?
どこで覚えたの?」
「うん(笑)。さっきね、三銃士のテレビ見ていたとき。」
「へー、正確には何て言っていたの?」
「水くさいぞ、ダルニアン!俺も連れて行ってくれ!って」
「あーそう。よく覚えていたね。で、どんなつもりで
そこでは、その言葉が出ていたと思う?」
。。。。。この会話長くなるので、ここで切りますが(笑)
いろいろと大切なことが隠されています。
ここでは、その中でも大切なポイントを3つだけ。
1つ目は、私がドッキリするくらい、
この言葉に感情がこもっていたこと。
息子の語彙力を知っているから、すぐに意味もわからず
使っている事が分りました。
しかし、そうでもなければ意味が分って使っているとしか
思えないほど全く完璧な抑揚でした。
2つ目は、コメントにいただいた、脳学者のいうところの
「エピソード記憶」を、小さい彼でもしているという事です。
おそらく、「エピソード記憶」というものは、
年齢に関係なく、赤ちゃんの頃からしていると
思われます。
3つ目は、私の息子が出来た事は、成人になると
出来なくなる事ではない、という事です。
もし日本語を学習している成人の人でも、
「水くさいぞ、ダルニアン!俺も連れて行ってくれ!」
と覚えられるという事。そしてその時、意味や使い方が
ハッキリと理解できていなくても、音を頼りにそれらしく
覚える事が出来るという事です。少なくとも練習すれば。
別に子供特有の能力がなければ出来ないことでは
ありません。
ここで、簡潔にまとめてしまいますと、
もう子供ではないから、音では覚えられない、
だから、成人学習者には「物事を理解して、
理屈を覚えてく方法で。。。」というのでは、
むしろ言語習得を難しくしてしまうということです。
なぜなら、例えばここで話題になった
「エピソード記憶」と「音による記憶」の両方を
することによって、言語習得を小さい頃私達は
したのです。
大人になったからといって、
その片方の記憶方式だけで言葉を覚えようとする事は
不自然なことだけでなく、単純に言えば、
物凄いハンディキャップを負いながら、
学習をすることになるからです。
もちろん、さらに論ずるべきは、
母国語VS外国語のことでしょう。
これまた長くなるので、
ここでは、あえて簡潔に(笑)。
子供VS成人、母国語VS外国語による
指導法は明らかに異なるべきです。
しかし、音で意味を感じながら、音を覚えていくことは、
覚えさせる方法には違いがあるものの、
必ずしなくてはいけないことです。
そして、それをする事により、
脳は柔らかくなり、おそらく子供以上に早く
言葉の習得ができるようになるのです。
本日はとりあえず、ここまで(笑)。
さて、皆様のサポートのお陰で、本日51日間連続更新
新記録の達成ができました! 有難うございます。
また最後にこのブログランキングバナー
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有難うございました!感謝をこめて。

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2012年5月19日土曜日

どのようにしたらラブラブになるの??

先日読者の方から、 どのようにしたらラブラブになるのかという質問の電話がありました。
このブログでお答えできればと思います。

キリスト教では人類祖先が神に背き、 堕落して自己中心になってしまったと教えています。
仏教では煩悩といいますね。

とにかく我々には 無償に他のために与え尽くすような愛は 生まれつき持ち合わせていないと自覚することから始まると思います。 親が子を愛する愛は 尊いですが、 親の理想に叶っていない場合は葛藤が伴うものです。

人類歴史は 個人から家庭、 国家 世界に至るまで 葛藤と闘争の歴史でした。

聖書に 義人はいない。とあります。

ですから、 愛は努力して復帰しなければなりません。
では如何にして?

人間を超越した存在を神としましょう。 聖書に神は愛なり。 とあります。
それでは、 神様から愛をいただくしかないではありませんか。

Give & Take アクションは主体と対象の相対関係から成り立ちます。
子供が親から愛を受けるように、 対象は主体から愛を受けます。

私は3人子供がいますが、 子供がかわいいときは愛しやすいですが、 反発してくると苦痛を感じます。
親なる神様も同じでしょう。
神様から無償の愛を相続するには、 神様のかわいい対象になりきることです。

イエス様は幼子のような信仰をもつことを 強調しておられるではないですか。

子供がほんの小さなことにも、ありがとうと親に 言ってきたらかわいくてもっと与えたくなるものです。

ありがとうございます、 感謝します。を唱え続けましょう。

ちなみに私は、 毎日犬と散歩しながら1時間唱え続けて 4年になります。
最近は天国言葉をもとなえています。 愛してます。 うれしいです。 楽しいです。 幸せです。
ついてます。 許します。 ますますよくなってきてます。 絶好調です。 きょうもいい日です。 等、、、、
これは修行です。 感謝行です。

とにかく唱え続けましょう。 全てを感謝で受け入れられる自分に出会えるでしょう。
心が楽しく 自然に笑顔になれるはず。 努力しなくてもです。
そして誰もが、愛されワイフになれるはず間違いなしです。 

人を愛するためには、 全てのこと 苦しいこと、 悲しいことも 受け入れる自分になること、 そしてそれを心配するのではなく 希望にかえて神様を信じゆだねる幼子の信仰が必要なのです。

ともにがんばりましょう。

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2012年5月12日土曜日

信教の自由、婚姻の自由の侵害 拉致や監禁という犯罪行為に追い詰める黒幕的第三者

監禁120日・・・NIさんが無事に解放!

今年1月3日に突然失踪し、拉致監禁被害が疑われてい た東京の教会員NIさん(女性・34歳)が、失踪から数えて121日目の5月2日午前11時頃、監禁場所である茨城県水戸市のマンションの一室から自力で 脱出しました。かねてより、拉致監禁被害に合った可能性が疑われていたNIさんですが、

失踪時の当会記事:拉致監禁事件発生か!?都内在住の女性教会員が突然の失踪

合計120日間におよぶ監禁下での「家族の話し合い」には、日本基督教団元牧師で、長野県小諸市にあるNPO法人小諸いずみ会「いのちの家」所長の川崎経子氏の関与が判明。また監禁現場では、クリスチャンのカウンセラーを自称する人物が、両親のメンタルケアのためと称して定期的に訪問しながらも、NIさんの監禁状態については容認していたことがわかっています。

NIさんによると、家族からは以下の内容を説得されたとのことです。
 

・原理の説明を家族にすること
・3月に韓国にて開催された祝福結婚式への参加をやめること
・一旦、教会を離れて考えてみること
・参考までに脱会者や専門家の話を聴くこと
・他の宗教の勉強もしてみること
・教会を批判する資料を読むこと

NIさんは上述の要求を受けながらも、自身の信仰を保ちました。しかし、いつ終わるともしれない膠着した監禁状態に限界を感じ、また監禁する側である家 族の精神状態も不安定になってきていたある日、部屋のドアに取り付けられていた鍵(※写真)の暗証番号を奇跡的に知り得たNIさんは脱出を決意、その機会 を見計らい実行しました。

今回の事件でも、成人とはいえ、我が子に対する親の心配を不当に煽り、信教の自由婚姻の自由の侵害ばかりか拉致監禁という犯罪行為に至るまで追い詰める黒幕的第三者の悪質な関与が問題視されています。
 

※今回の監禁に実際使用された取り付け式の鍵(NIさんが脱出の際、確保した実物)
設置状態(4ケタの番号を合わせない限り取り外せず、ドアノブを回せない仕組み)


  • 我らの不快な隣人
    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。
    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出
    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。
    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島
    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。
    ►書籍紹介

2012年5月10日木曜日

障害者になった夫と半身不随の姑の世話に尽くしてきたことで、孝行賞を受けた。

半身不随の姑・障害者の夫の世話をする日本人女性=韓国

2012年05月09日16時33分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

写真拡大
アサノ・トミコさん(49)。
  8日、全羅北道扶安郡(チョンラブクド・ブアングン)ソンウン村の村会館には、「キム・ヨンチョン-アサノ大統領賞受賞」と書かれた垂れ幕が設置され た。 この村の住民キム・ヨンチョンさん(49、知的障害3級)の日本人夫人アサノ・トミコさん(49)が第40回父母の日の表彰を受けたことを祝うものだ。 アサノさんは韓国人の夫と結婚した後、障害者になった夫と半身不随の姑の世話に尽くしてきたことで、孝行賞を受けた。

  アサノさんは1963年に大阪で生まれ、地元の山本高校、関西労災看護専門学校を卒業し、日本で社会人生活を始めた。 そして95年、夫のキムさんと結婚し、韓国で暮らし始めた。 18年間にわたり姑(イム・ヨンレさん、80)の世話をしている。 特にイムさんが3年前に脳卒中で倒れて以来、アサノさんは姑の食事、入浴、着替え、通院などを助けている。 夫のキムさんは97年、勤務中に首に大けがを負い、勤労能力がない。

  アサノさんは2年前から村の事務所で清掃の仕事をしている。 ここでの給料と政府の支援金で1男2女の学費と姑の病院費を支払っている。 キムさんは「妻は絶対に愚痴をこぼさない。 家族のために本当に頑張っている」と語った。

  アサノさんは時々、村の高齢者のためにボランティア活動もしている。 アサノさんは「自分よりも一生懸命に暮らしている人は多いのに、このように大きな賞が与えられて本当に感謝している」とし「韓国でよりいっそう頑張って暮 らすように激励の意味でこの賞が与えられたようだ」と話した。

  アサノさんはこの日、父母の日の受章者とともに青瓦台(チョンワデ、大統領府)で李明博(イ・ミョンバク)大統領と昼食を取った。 李大統領は「日本から結婚で来られた方がいる。 家庭がとても大変な状況でもいろいろと奉仕をされている。 本当に有難く思う」と述べた。 また「今日のこの席には本当に立派な方たちが集まられた。 一人一人、普通の人にはできないことをされている」と話した。

  この日、姑と姑の母の世話に尽くして国民勲章冬柏章を受けたチェ・スンドクさん(51、江原道鉄原郡)ら168人が勲章・褒章・表彰を受けた。
【今日の感想】この記事を読んで・・・

2012年5月9日水曜日

私たちラブラブなの!




お茶を習いだして3年、私も着物を着てお稽古したいと思って通いだした着付け教室も終わりに近づいてます。 

先回の着付け教室で夫を愛せないとか、 なんとかが 話題となりました。 
そこで私は声を大にして言いました。 
”結婚して30年 私たちラブラブなの! 新婚気分よ!” なんて言ったら みんな目を丸くして私をみるではありませんか。

そこで、ラブラブの秘訣をシェアしたいと思います。
ラブラブ関係は一朝一夕にできるものではありません、 血の滲むような努力の結果なのです。

私の人生で誇れることは、 夫を愛することができるようになったことです。
自分の好みで選んだわけではないけど、 神様が私のために選び貫いて授けてくださったと思い、 いいえ思うように努力し続け、 この人を愛することなくして私の未来はない。 後がない、 先に進むしかないと思って、険しい山を登ってきました、

そして数年前、 やっと一点突破したのです。

夫が私の思うように行動してくれたとき、 喜びを感じる私でしたが、 夫が喜んでいるとき、 無条件に私も喜ぶように努力しました。


”相手中心の自分”のスタートです。
今は夫の全てを受け入れられる自分になれたのように思います。
夫も私の全てを受け入れてくれているように思います。

ここまで来るのに 山あり谷あり 荒波に飲み飲まれそうになること何回もありました。

Thank You God! 神様中心の結婚(祝福結婚)は 諦めなければ 必ずラブラブになると確信します。

結婚は男女の交わりだけで留まるのではなく、 結婚を通してすばらしい愛の人格者になってほしいと願う神様がおられるのですから、、、、、


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2012年5月2日水曜日

なんと 私はもうすでに幸せいっぱいの人間だったの?



お久しぶりです。
右手をいためて ドクターストップがかかりコンピュータを使うのを控えてました。 ぼちぼちがんばります。

私は1週間前に56になり、 新しい人生の出発を感じてます。
私は 自己の矛盾と熾烈な戦いをしながらも、誰もが願う幸福を必死に求めて生きてきました。 

しかし 行けども行けども 理想に程遠い現実に失望することが何度もありました。
しかし大発見! 大きな悟りを得ました。 

私は山の頂上、 すなわち自分の理想郷にたどり着かなければ’、 決して幸福になれないと思ってきました、。 しかし そうではなく、 理想 あるいは目標を掲げて 日々前向きに努力する自分でいられること、 もうそれ自体が感謝であり幸福なことなのだと、、、

なんという心情革命でしょうか。 私はもうすでに幸せいっぱいの人間だったのです。
そんなことやっと、 わかったのかと思われる方もおられるでしょうが、 ともかく死ぬ前にわかって感謝の私に乾杯!!!



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世界平和のための結婚 - 祝福結婚の紹介 -

2012年3月19日月曜日

西岡力 日韓歴史問題の真実 (3-2)

李氏朝鮮の真実

【日本人が知ってはならない歴史】1/6

韓国併合の真実

日韓併合前後 朝鮮半島写真館

韓国人(朝鮮人)は日本に併合されていた時代が一番幸せだった!! 誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差  黄文雄(台湾人)  正論 2003年6月号

日本の過保護で世界一幸福だった二十世紀の朝鮮民族

「韓国併合」と言われるもの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の合併だった。戦後の朝鮮人はよく、日帝の植民地略奪」を強調し、日本人も朝鮮では 台湾以上に過酷な統治が行われていたと考えがちだが、事実はまったくその逆である。朝鮮では台湾よりも地租が安く、産米も逆ざや制度が取られ、地下資源の 経営も中央政府からの補助で支えられ歳出も中央による年平均15~20パーセントの補填で支えられていた。資本投資も台湾より朝鮮の方が大きかった。

そのため二十世紀初頭まで糞尿だらけで世界一不潔な都市といわれていた現ソウルなど、美しい近代的な街に変貌し、半島の人口も倍増した。普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり常識だが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収しないという特別待遇だった。 
二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど、過保護を受けて 幸福に暮らしていた民族はない。 飢饉・疫病や戦乱・革命の被害も、自国民同士の朝鮮戦争を除いては、この国の人々の損害は実に小さい。このように韓国 は、日本に依存しながら成長した国家なのである。戦後の国作りの成功、OECDの加盟の達成にしても、日米の資本と技術の移転に頼ったからこそだ。「第二 の国辱」と言われる97年末以来の金融危機も、IMFの管理下に入ることで国際的地位を守っている。他力本願、ことに対日依存というのが、近代以降のこの 国の体質になっている。

しかし韓国人は民族の誇りから、このことを絶対に認めたくない。だから日本時代に行われた徴兵や徴用にしても、みな自分たちの意に反した「強制連行」だったと主張したがるのである。



「韓国は日本人がつくった」 黄文雄著
 より

先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。 今のハン グル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。しかし、日帝時代以前の韓 国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、水が原因でかかる早老病をはじめ様々 な、「水土病」について書いている。そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。本格的に近代医学医療制度が導入されたの は、朝鮮総督府時代からである。総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)付属病院となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的 存在となった。各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、疫病の浸入防止に取り組んでいた。

コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は1918年~20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。その後、地方の医療制度は清州、金州など順次各 地で確立され、医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、李朝以来存続していた階級制度の廃止ととも に、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。30年代に入ると、近代 医療制度の確立と普及によって、中国大陸から来襲してくる疫病を完全に食い止められるようになっていた。飢饉による餓死と、疫病に よる大量の死亡者を出 していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処 し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって 朝 鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。





『日本人はとても素敵だった』 楊素秋(台湾人女性)著 より

そして、負けた側(日本)がある程度経済的に豊かになると、今度は、「弁 償」という言葉のもとにゆすろうとする。これはやくざのやり方です。中国や朝鮮・韓国は、それをずっとやり続けています。 テレビを見る度に日本の悪口を言ってる朝鮮の人などを見ると、私は憤りに似たものを感じます。 不公平だと。 してもらったことに対して、なぜありがとうと言わないのか、と。



『アメリカの鏡・日本』 ヘレン・ミアーズ著 より抜粋

○韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。

○日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れてしまっ たかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」を「管理統括」 し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。

○日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、 日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王 は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

○1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新 皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細 かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授によれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた。そして宣言 ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手続きを踏んでいなかった。

○日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主統 治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの賞賛を 勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。


崔慶禄 (戦後、大韓民国陸軍師団長、士官学校長、参謀総長、メキシコ大使、英大使、在日韓国大使を歴任)
日 本は、統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは、どうしても否定できない事実である。日韓併合 後、日本人は鉄道、道路、架橋、用水路、植林、河川整備、堤防、港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共事業を始めた。このために、それまで韓 国には、食うや食わずの失業者がひしめいていたが、一般の 民衆に仕事が与えられて大いに潤った。日本は乱脈だった李氏末期の韓国社会を正した。韓国に法治社会をもたらした。日本が韓国を統治した間に、一方的な収 奪を行ったというのは、大きく事実に反する。今日、日本統治時代を体験した韓国の知識人は、それが事実であることを知っていながら、客観的事実を認めるこ とを拒んでいる。韓国は日本の力によって短期間のうちに、日本人が咀嚼した西洋の実用主義を定着させ、近代世界に入ることができたのだ。日本統治時代に なって、はじめてまじめに働く 多くの者が報いられるようになった。また、韓国人の福祉が大きく増大したのだ。


「李完用侯の心事と日韓和合」   朝鮮全権大使 李成玉 
朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べている。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合 相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは 気に入らないが、これは 朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の 境涯から脱して、人間としての幸福 が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したの だ。」



1906年ロンドン・ディリーメール紙
 カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー


伊 藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち 明けたとき、私の心は躍った。そこには改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。 「私は、自分が 韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。




宣教師 ラッド博士

韓 国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に 導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面に おいて、三年間に二倍の進歩を遂げた。




宣教師 ハリス博士


私の見るところをもってすれば、伊藤侯 の統治は最大なる賞賛に値するべきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に 現し始めました。過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず 成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなけれ ばならないと思います。




韓国発行 「邦字新聞」より
 韓 国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間に三千万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらないで、 韓 国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を 尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は そ の下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には 荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を  追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺 にあるやを疑わしめるものがある。

日韓併合条約 1910(明治43)年8月22日調印

第一条 韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す。
第二条 日本国皇帝陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す。
(以下略)



日韓併合条約調印に際しての、朝鮮側代表の李完用に対する韓国皇帝の全権委任状 

「東大生に聞かせてやった韓国史」

ソウル大学国史科・李泰鎮教授 著


↑に掲載されている、日韓

2012年3月16日金曜日

杉原千畝:A Japanese Holocaust Rescuer

テキサス親父が喝!日本の誇りと愛国心 - Japanese pride and patriotism

 

 自分を愛することなくして、 人を愛することはできない、とはよく耳にする話です。
それと同じように、 自国を愛することなくして、 世界を愛することもでいないと思うのです。

 日本が世界の母としてあり続けるためにも、 日本を愛し、日本の伝統、文化を愛しましょう。

 以下の論文は愛国心をさらに増したい方は是非、お読みください。


日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄

【1】
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。
これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意された条約に基づいているからである。
我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによっ
もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

【4】
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。
それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

【5】
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

【6】
李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。
李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。
しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

【7】
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

【8】
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。
しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。
幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

【9】
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。
そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

【10】
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

【11】
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。
そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

【12】
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実行支配が続いている。

【13】
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。
日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。
日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

【14】
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。
今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

【15】
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。
嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。


使われた書籍・文献のリスト。
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」
「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」
「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」
「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」
「朝鮮総督府統計年鑑」
「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」
「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」
「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」2回目
月刊正論平成18 年5 月号

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2012年3月14日水曜日

慰安婦大募集!

韓国政府が自爆!慰安婦の正体を暴露

従軍慰安婦問題について語る、櫻井よしこ氏

従軍慰安婦問題、提訴者の韓国人女性「詐欺」で逮捕

従軍慰安婦の真実

日本がアジアに残した功績の真実

アジアを愛した日本 歴史の真実

日本とパラオ ~歴史を越えた友情~

2012年3月12日月曜日

世界のために生きる日本

 

戦争中 日本人からにどんなにひどい目に遭ったかと 、 いまだに恨みを持つ人々もたくさんいるけれど、 勿論悪いこともしたけど、 いいこともした。 水道 鉄道を造り、 病院、 学校、大学、郵便局などを建て、 いかに文化発展に尽くしたかと弁明することなど、 さらさら必要としない。

過去の歴史上、 100%善なる人も民族も、 100% 善なる国家も存在しなかったのだから、、、

過去の過ちを悔い改め、 今現在 いかにより善に生きているかを問うことが 大切。

インドと中国に挟まれた仏教国 ブータンに日本のサッカー監督が 高校生のサッカーコーチとして単身赴任しているドキュメンタリーを放送してました。

文化の違いで唖然となるコーチ、 時間には揃わない、 無断欠席、 少しの怪我で休みたがる。
でもかわいい子供たちなんだ、と愛と忍耐で接している姿に感動しました。 

日本から送られてきた ボール、シューズ、 ユニホームを着て、 いつか日本チームとゲームする日を希望に目を輝かせていた。
同じ アジア人の日本人ができるなら、 僕たちブータン人もできると信じて、、、

 今現在 エジプトのピラミッドの隣に 日本が350億円投資し、博物館を建設中。 これでたくさんの観光客でエジプトは経済復興するだろうと現場の日本人が語ってました。

東北の復興も大変な中、 自国を弁明することもなく、謙虚に世界のために生き続ける日本。 いつまでも 世界の母であり続けるならば、 世界各国が日本を証しするときが来るであろう。

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2012年3月11日日曜日

正義の見方 アンパンマンになろう!

http://vimeo.com/invisible/kony2012をクリックしてください。

私たちは 昔の人たちが想像もできなかった科学の発達した時代に住んでいます。
そしてまた、 私たちは昔の人が想像に絶する悪がはびこんだ時代に住んでいると思うのです。

KONY2012を観てこんな悪人が存在し、 子供たちが脅えて生きている現実が存在することに驚きとショックでいっぱいです。

そしてまた、思うのです。 これは世界に存在する悪の氷山の一角かもしれないと、、、

先進国でのポルノ 人身売買、 特に フィリッピンでは 3歳児が人身売買されている事実、チベットでの宗教迫害、 これらはまだ 氷山の一角かもしれない。

日本では キリスト教会の牧師(宮村)が、統一教会信者の親を騙して、 親が信者である自分の子供を拉致監禁し、離教を迫り、挙句の果てには 彼ら信者がレイプされたり、あるいは自殺に追いやられるなど、今現在 一ヶ月の3件ぐらいの割りで頻繁に起こっています。。
 監禁から逃げても、 ショックから立ち直れなくて、 社会復帰ができない人たちが、いっぱいいます。

 そして信者たちは、 いつまた拉致監禁されるかと脅えながら生きているのが現実です。


ところで、東北震災から1周年、 石巻の町でがんばっている人々のようすが、テレビで放映されてました。 

当座のしのぎのため、 かわいいシンプルな商店街が造られてあります。 
その商店街の店の看板、 デッキ、 長いす、プラントは、 Salvation Army(救世軍)からの寄付金で造られたものです。 とその町に住むクリスチャンが話されてました。 

在米日本人として,また近くの Salvation Armyでよくショッピングをしている私は、 うれしい限りです。

あ~ アメリカよ! 神の愛において、 強く雄雄しくあれ!!! 
 世界のアンパンマンであってほしい。

アメリカ自国がポルノや、 同性愛で家庭が崩壊していっているけれど、 他国のために生きるとき
必ずや 神様が手を差し伸べてくださるでしょう。

みんなで 正義の見方 アンパンマンになろう! それが難しければ、 せめて子分か友達になろう!

ちなみに、アンパンマンの友達は 愛と勇気だけだそうな、、、、



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