2011年10月6日木曜日

ある拉致監禁被害者の手記

日本では毎月一人の割合で、今現在10人が監禁されていると聞いてます。
被害は監禁された人だけではなく、 その家族、親戚、友達まで及んでいます。

拉致監禁体験者が共通に感じていることは、 自分の親がまったく別人のように感じたということです。
世間一般の親がそうであるように、子供の身になって理解しようという姿勢が全く見出せないのです。
子供は悪の道に行っていると信じて、 子供の言う事を全く聞こうとしないのです。
 なぜそうなってしまうのか。 
親から多額(退職金ぐらいの莫大な金額)のお金を受け取った脱会屋(反対牧師)から教育(洗脳)を受けて指示されて動くのです。
 子供に対する愛情を否定するように働きかけるのです。
たとえば 親がそれはやり過ぎだと言えば、
そんな弱気で子供を救えると思っているのか。 と迫ります。

このような非人道的な野蛮な行為は 法律で取り締まらなければならないのですが、 警察もぐるになっているのですから たちが悪い。

たとえ監禁から脱出しても 以前のような親子関係 をもつことができないし、 子供を不幸に陥れたことに責任を感じて自殺した親もいるほどです。

下記は拉致監禁経験者の手記です。

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 ある日、夕飯が終わるといきなり母親と父親が近寄ってきて、
「実はこれからお前の教会について話し合いたいんだ」と言ってきました。
私はびっくりし、ひどく動揺しつつまた監禁するつもりなのだ、とすぐに気づきました。(私はこれが2回目の監禁なのです) 私はすぐさま母親に土下座をして謝りました。
「お母さん、ごめんなさい。お母さんがさびしかったからこんなことをするんでしょう!さびしい思いをさせたなら謝ります」と言って謝りました。
すると母親は逆上して父親に
「何を言っているの!お父さん、ちょっとこの娘をひっぱたいてやって!」と言いました。
父親は言われたとおり私の髪の毛をわしづかみにすると顔を引っ張り上げ私の頬を叩きました。そして母親はすごい形相で教会の悪口を言い始めました。
私はもう監禁する部屋が用意されていることも、私を運ぶために後ろに弟が座っていることも知っていました。ですからもう何も言う気持ちも気力も失せてしまったのです。
悔しくて悔しくてしかたありませんでした。『この人たちは、この親たちは自分が親だという事を、子供を自分たちの好きなように勝手に監禁してもいいという権利だと思っているのか』と激しく怒りがこみ上げてきました。そしてひどい脱力感におそわれました。
いつの間にかいとこやおばたちも現れ、私は案の定、多くの人たちに囲まれながら連れ出されて荻窪のマンションに監禁されました。
一件目のマンションに連れ込まれました。そこでは親戚の人たちが私を逃げないように監視し、この監禁を正当化しようとしているかのように、心配しているということを何度も主張してきました。
今まで私にそんなこと一言も言ったこともない人たちが、いきなり私を監禁し、逃げられないように閉じ込めて、心配していると言うのです。
私は腹だたしくて仕方ないのですが、興奮すればするほど、外に出られない、私の行動すら自分で選べない(私の行動範囲はお膳のある6畳と台所、そしてトイレだけでした) 事実が息苦しく、そしてみじめになり、神経がまいりそうになるのです。
できるだけ、怒り、憤り、腹立だちなどは自分で『いや違う、いや違う。大丈夫、大丈夫。こんなことは何でもない。何でもないことなんだ。私は大丈夫』と 言って鎮めるのです。何でもないふりをし、こんなことはそんな大変なことじゃないと自分を落ち着け、冷静さを保たせるのです。

何日かし て脱会屋が来ました。少しずつ教会の悪口を言い始めます。最初、彼が来るたびに私の心臓はドキドキしました。私はこれから何をされるのか。どうなってしま うのかという不安でいっぱいでした。私は脱会屋が来ても何も話しませんでした。それから私は家族とも話さなくなり、そしていっさい口を利かなくなりまし た。それは家族の裏切りに対して受けたショックと憤りによる私のできる限りの抵抗でした。
(中略)
私はすきを見て玄関から飛び出し、助けを求めました。
マンションの入り口でありったけの声で「助けてくれ!助けて!」と叫びました。そしてやっと警官が来てくれました。しかし両親が玄関で「娘が教会に入って いるので、そのための話し合いをしているだけです」と言って警官を納得させようとしているのです。その間、私は奥の部屋で弟に腕と口を押さえつけられ、動 けないばかりか、声も出せないように締め付けられていました。足だけバタバタさせてもそれだけです。玄関まで届きません。玄関にいる警官は中を見ようとも しません。
私にとっては玄関を飛び出して助けを呼ぶことは一か八かの賭けだったのです。もしこれで助けが来なければ、私の逃げようとしていた意図が家族にばれて、家族の逆鱗に触れ、もっと苦しい目に合されたらどうしよう、、、そういう恐怖心と闘いながら決行したことだったのです。
警官が来たところまではよかったのですが、頼みの警官も両親に説得されると全く中を見ずに帰ってしまいました。
私はひどくショックを受けました。
(中略)
両親は私の何を見ていきなり監禁したのでしょうか。両親は私を見ずに救出カウンセラーと呼ばれる人々の話をそのまま信じて、そして不安にかられて私を計画 的に監禁したのです。私の家には私が教会をやめてからもずっと年会費10000円の振り込み用紙と強制脱会のための父兄会からの知らせが来ていました。

私は何人もの男性や家族に囲まれて新しい部屋に閉じ込められました。もちろん玄関には二重の鍵がかけられ、逃げられないようになっています。
私が閉じ込められた部屋は小さな部屋を二つ通過し、台所を通った一番奥の6畳間でした。窓は二面にありましたが、片方はベランダに面していると思うのです が、大きな冊子窓は真っ暗になっています。ベランダに何かの荷物でも置いて全く光が入って来ないようにしていました。もう一面の窓は空気の入れ替えや、光 を入れるための窓でしたが、もちろん窓は開けられないようになっており、セロハンが張られ、中からは外が、外からは中が見えないようになっていました。
(中略)
この日から約9か月の間、外に出るどころか外の景色さえ見ることができませんでした。
私は結局6か月間、誰とも一言も口をききませんでした。それは狭い部屋に閉じ込められた私のささやかな抵抗でした。
この間、何回か脱会屋は来ましたが、私が話さない様子を確認すると、
「いつまでもそうしていたらいい。時間はたっぷりあるから」と言って帰りました。要するに自分たちの説得を聞き入れなければここから出さないということでした。
私はそれでもだまっていました。そのうち家族がいら立ち始めました。
特に弟は幼い娘のいる家庭があります。それでもこのマンションに一緒にいないといけないのでした。なぜなら時間とお金をかける覚悟のできている者だけが、 脱会屋の許可のもと、強制改宗の説得をしてもらえるからです。もし自分たちから断念してしまったら、今までの時間とお金と努力は水の泡です。そしてここま での犯罪行為を犯して、行動に出たのです。もう私の信仰をもぎ取るまでは後に引くことができません。
いら立つ弟はただうつむいている私に向か い、お膳をバシバシ叩き、脅しをかけます。「いつまで黙っているつもりなんだ。おれだって家族がいるんだぞ!嫁さんの方からもいったいいつまでこんな生活 をしないといけないのかと離婚話までし始めてきたんだぞ!お前は人の家庭を壊すつもりか!」と自分で人を閉じ込めておきながら、自分の思い通りにならない ことをひどく怒っているのです。
そして私を監禁場所に連れて行く時と同じように、私の髪をわしづかみにして顔を無理矢理あげさせ、頬を叩き始めました。そして後ろ壁に頭を叩きつけます。
私は叩きつけられながら、『いったいいつまでこんな生活をしないといけないのだろうか』と心の中で恐怖と闘うのです。
この一件の後、私は口を開き始めました。このまま暴行がエスカレートするのではないかと恐ろしくなったからです。
家族には別に口を開いた理由は言いませんでした。彼らも聞きません。彼らは何しろ私が脱会屋の話を聞き、会話を交わし、説得に応じてくれればいいのです。そうしてくれさえすれば、プロの脱会屋さんが娘の洗脳を解いてくれると思っているのです。
私が口を開き始めるとすぐに脱会屋が現れました。脱会屋は私の後ろ髪をつかみ台所の流しに頭を突っ込みました。そして水道の蛇口を開けて「うがいをしろ」と言いました。
私は6か月も話をしなかったので、言葉をうまくしゃべることができませんでした。音は細々と出るのですが、口のあちこちの筋肉が衰え、それを言葉に変える ことができなかったのです。口べったい、何を言っているのかわからないような状況でした。それで紙に字を書いて一番最初に伝えたのは、
「私は教会をやめてもいい。しかし私が辞めたからといってそれを両親のおかげだなどというようには、話を持っていってもらいたくない」と言いました。これが家族に対する私の最後の意地でした。
私はこの時、『もうこんな精神的拷問に私は耐えられないだろう。私は自分の信仰をおそらく捨てざるを得なくなる。しかし捨てたあと、この家族に私の人生が左右されるのは嫌だ』と思ったのです。
(中略)
それからほとんど毎日脱会屋は来て、教会の教理、教主のスキャンダル、幹部の悪口、いろいろな話をして来ました。真実と嘘をちりばめてです。
部屋の中では脱会屋が一番強い立場ですから自信たっぷりに言います。誰も彼に反論する人はいません。そんなこと自体があり得ません。私を脱会させるための 席です。みな彼に合せます。また本当に心からそう思っているのです。まるで王様に対する取り巻きのように笑みをたたえながら相槌をうつのです。
最初は私も『彼の言っていることに信憑性はないな』と思っていました。理由は簡単です。ある信者のことをいろいろな事件と共に酷評していたのですが、その 信者は私のよく知っている先輩だったからです。彼の批判は批判のための批判で、その人物をよく知っている私には全くピントはずれで、説得力がなかったので す。
その先輩にまつわるある出来事を彼は、
「それはあいつが自分の周りに女を置きたかったからだ」とか
「よくそんな恥ずかしいことが言えるもんだ。何も考えていないのがよくわかる」と批判するなど、彼に対する評価はすさまじく偏っていました。
しかしこんなことをずっと続けていると、外の自由な環境であれば何でもないようなことも、だんだんと脱会屋の思考の輪に入って行くようになります。
その先輩の話でも『いやそんな人ではないけど』と最初は思っていても、だんだんと『もしかしたらそうかもしれない』となっていくのです。
だんだん私は彼の言っていることがどこまでが本当でどこから嘘か全くわからなくなりました。(おそらく本人は全部本当だと思っている) またいちいち判断 するのも疲れてきます。何しろ、私にはいっさい彼の言っていることを確認するすべがないのですから。私の頭の中はただ堂々巡りをするだけです。
悪口や批判が防御しきれなくなってくると、その多くの話はだんだんと苦痛になってきます。
もう頭は働きません。その悪口と批判がそのまま私の頭に入ってきます。それらの言葉は少しずつ私に騙されていたのではないかという懐疑心を起こさせてきます。また一方ではそう考えたくないという感情も沸いてきます。
それでも構わず一方的な情報を与えられると、感情は激しく抵抗します。しかし脱会屋はその抵抗をさせないようにし、認めざるをえない状況を作っていきます。
要するに、私は自分で調べたり人に聞いたりすることができないため、相手の言う主張を比較、検討する材料がありません。自分で比較思考できないので、保留状態にすると、脱会屋は「思考停止している!」と言ってバカにしてきます。
そして私の感情を逆なでるために、私の悪口、教会の友人の悪口、先輩の悪口、 もちろん教主の悪口はひどいものでしたが、そのように人をののしる汚い言葉をずっと言うのです。そして私に腹を立てさせ、頭を動かさせようとするのです。 そうやって無理に考えさせようとするのです。
このような精神的拷問がずっと狭い6畳の部屋で行われます。
来る日も来る日も同じ壁を見て、同じ天井を見て、開くことのないセロハンの張られたエナメル線の入った窓を見ながら、ずっと悪口と批判を聞かされるのです。
できればこのまま私という存在がなくなって欲しいと思いました。 6畳部屋に閉じ込められたまま、外を見ることもできず、絶望感に打ちひしがれながら、自分をこんな目にあわせている親を憎みます。そしてそれを裏で操っているプロの脱会屋を憎みます。
しかしだんだんそんな感情も疲れてくるのです。憎しみは感情を刺激します。感情は穏やかでいないと、無性に外に出たくなります。気が狂うほど外に出たくな ります。そこに見え始める精神的な限界にまで行かないように自分を懸命にコントロールするのです。感情を押し鎮めるのです。
私は疲れたなかで、『教会の教理は嘘だ。私は騙されていたんだ』と思うようになりました。そのきっかけは簡単なことです。
「(教理の元になったといわれる)本はほんとうはないんだ」という脱会屋の言葉です。
その一言で私は『騙された』と心臓が落ちるようなショックを受けました。目の前の時間が止まったようになり、驚きのあまり、また言葉を失ったのです。
この様子を見て脱会屋は『落ちた』と思ったようでした。
それからは家族もあまり私に必要以上に近寄らなくなりました。おそらく『今、娘さんはショック状態にあるからゆっくり考えられる時間を与えてあげなさい』と言ったのでしょう。
私は当分の間ショックが抜けず、今までのことを回想しました。『騙されたとしたら誰が騙したのか、そして誰までが騙され、誰が真実を知っているのか』その ような回想をしながら、でも時折『本当かもしれないじゃないか』という気持ちも押し返してきます。脱会屋の言う「揺れ戻し」が起こってくるのです。嘘か本 当か、騙された、しかし信じたいという相反する気持ちが行ったり来たりするのです。
(中略)
こうして持っていた信仰が崩されると、その あと、激しい不安に襲われました。自分はいったいどうしたらいいのかわからなくなります。今まで持っていた価値観がいっぺんに崩壊するので、自分の思考の 拠り所をなくしてしまうのです。目の前の物事に何の反応も示せなくなってしまうのです。
そういう時に脱会屋は自信たっぷりに自分の主張をします。すると一種の安心感を感じます。そして脱会屋の言うこと、価値観を土台にして自分を自立させようとします。
要するに依存状態になるのです。
私は彼の周りにいつもくっついている元信者が最初理解できませんでした。なぜあんなに従順にうなづいているのか。笑っているのか。まるでしもべのように何 を言われてもニコニコしているのか。しかし自分が信仰を失い、「落ちて」みて初めてわかりました。それが彼らの自己形成の過程だったのです。脱会屋にいっ たん依存しなくては自分を再生することができなかったのです。
もしかしたらそのように依存する相手は脱会屋でなく家族であった人もいるのかもしれません。しかし私の見るかぎり、脱会屋は王様です。家族も好き勝手には何も言えません。ここでも彼の独壇場なのです。
私の場合は、何がどう働いたのかはわかりませんが、脱会屋に依存したいという気持ちももちろんわいてきたものの、そうはしませんでした。一番の理由はおそらく拉致監禁という行為がどうしても許せなかったからだと思います。
私は脱会屋にも家族にも依存しませんでした。誰を自分の土台にしたかというと少したってから聖書を教えに来始めた、牧師を自分の土台に据えるようになりま した。またその教会の信徒さんが親身になって話を聞いてくれて、私はその人にもずいぶんと助けられました。そうやって自分を少しずつ起こし始めたのです。
と同時に直接私を監禁した家族をひどく憎みました。それはマンションを出てからもずっとそうでした。そのせいか、私の信仰をもぎ取ろうと必死になっていた 母親は自分の願った結果にならずに落胆したようで、体を壊し、家で生活することができず、実家へ戻り2年もの療養生活をするようになります。父は一人で家 におり、私はもちろん一緒には住みません。一家は離散家族になりました。
その時の私は、脱会屋に対してなぜか少し感謝の気持ちがありました。一つは監禁下で『最後まで私が家族の庇護の元に生活するような状況を作らないようにしてくれた』と私が思ったからでした。
しかし彼に対しても嫌悪感はありました。彼の普段の様子です。いつも取り巻きを連れ、自分の話にうなづき求めながら自分の主張の正しさを誇示する。監禁さ れた弱者に対してそこまでその人をバカにする必要があるのかと思うほどののしる(私は私自身がののしられた記憶が少ししかありません。他の監禁マンション に行ってその説得現場で見てそれを感じました。私はひどくののしられなかったのか、それとも記憶から無意識に消し去ってしまったのかはよくわかりません)
ですので私は部屋まで来てくれた牧師先生に頼ったのです。

そして2年7か月後、その部屋から出ることができました。

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