2011年7月30日土曜日

ねぇ、この料理おいしい?----

愛情とは見返りを求めない行為のこと--

  • 2011年7月27日 水曜日
  •  
  • 小倉 広


「ねぇ、この料理おいしい?」
かみさんが聞く。
「うん。おいしい、おいしい」
僕が言う。
確かにいける。この「野菜の肉巻き」。豚の薄切りロース肉で、アスパラやごぼうや人参やえのき茸を巻いてある。肉のうまみがありながら、野菜たっぷりで低カロリー。僕のお気に入りのメニューだ。甘辛く醤油と砂糖で炒めたものが、ホカホカの湯気と共に食卓に出てきた。
こりゃあ、たまらん。白いご飯が進む、というものだ。食卓にはそれ以外にも野菜たっぷりの健康的なメニューが並んでいる。「ホウレンソウのごま和え」「小松菜の煮浸し」「かぼちゃの煮物」…。どれも僕の好物だ。

5分間で5回「どう? おいしい?」

「ねぇ、おいしい?」
またもやかみさんから尋ねられた。
「あぁ、すごくうまいよ」。僕が答える。
「この小松菜ね、すごく出汁取るのが大変だったの」
「でねぇ、小松菜の根元に泥がすごくて……」
かみさんは一生懸命に料理の大変さを語る。
「そうか、そうか。それは大変だったね」
「へぇ。そうなの」
僕は相づちをうち、なるべくお皿や茶碗から目を離して、彼女の顔を見ながら会話を続けた。
「ねぇ、それで、どう? おいしい?」
またもやかみさんが尋ねて来た。
僕は指を折りながら数えた。うん。5分間で5回目の質問である。僕は少し、切れそうになった。
「うっ、うまいって、さっきから言っているんだろう! 何回言わせるんだ!」
そんな言葉が一瞬頭に浮かんだ。しかし、グッとその言葉をかみ殺し、僕は、こう言った。
「あぁ。おいしいよ。うん、うまい」
そして、心の中で「はぁ…っ」と小さくため息をついた。

オレも言ってみようかな「誉めて、誉めて」

「ねぇ、おいしい?」という言葉は、言い換えれば「頑張ったでしょ。誉めて、感謝して」という承認のおねだりに等しい。それを言うかみさんの気持ちはよく分かるが、そればかりを求められるとこっちの気分が下がるというものだ。
かみさんは、誉めてもらうために料理をしているのか。仕事で頑張って家計を支えている僕を助ける、支援する。そんな気持ちはないのだろうか。こんなふうに考えてしまうのだ。
そんなんだったら、俺だって誉めてほしい。そういえば、毎月給料をもらってくる時、高い家賃を払う時、ローンの支払い時にかみさんから感謝されたことは1度もなかったなぁ。オレも今度言ってみようかな。「ねぇ、家賃払ったんだ。誉めて、感謝して」と。
そんなことを考えた時に、ふと恥ずかしくなった。オレは何を考えているのかと。これではまるでかみさんと同じ次元で張り合っている子供のケンカではないか。
冷静になって考えてみれば、このかみさんの「誉めて、感謝して」という態度。仕方がないことではないのか、と思えてきたのだ。かみさんだって飢えている。誰かに誉められ、認められることに飢えている。

心の広い夫になろうと決意

かつて彼女は会社でバリバリと働いていた。表彰されることもしょっちゅうだった。そんな彼女が今は家に入っている。それは、誰かに認めて欲しいだろう。「おいしい?」と1分おきに聞いてきても仕方がない、と言えるだろう。
一方で僕は幸いなことに仕事を通じてたくさんのフィードバックをいただく環境にある。このコラムだって、読者の方々からたくさんのコメントをちょうだいできる。
もちろん、仕事だからほめ言葉ばかりではない。辛口の批評の方をいただくことも多い。しかし、それでもフィードバックをもらえる環境は素晴らしい。仕事とは大変ありがたい社会参加の手段。生き甲斐を感じることができる、僕にとっては人生で最も大きな構成要素なのだ。
それならば。専業主婦のかみさんにつきあってあげようではないか。面倒臭がらず、何度でも、何度でも「おいしいよ」と答えよう。そう、僕は心に決めた。心の広い夫になろうと決意したのである。

バカバカしい、やってられるか

そして、次の日。いつものように料理を出してくれたかみさんに向かって僕は先手を打つことにした。料理を口に運んだ後で、かみさんに聞かれる前に僕は言った。「うん。うまい! 上手にできたね。このひじき、おいしいよ!」。
もちろん、それはお世辞ではない。確かにうまい。おいしいのだ。出汁も良ければ、煮込み加減もちょうどいい。固すぎず柔らかすぎず。大豆が入っているのもいい。栄養バランスだってばっちりだ。だから、本心から誉めた。
すると。かみさんは、なぜだか分からないが、無表情で返事も返してこなかったではないか。聞こえなかったのか。もう1度僕は言った。「このひじき、おいし いよ。うまい!」すると。かみさんが目も会わせずに一言「うん」。そして、面倒くさそうにため息をついて、食卓につき、無言で食事をしながら、テレビを じっと眺めていた。
「何か怒らせるようなことでもしたかな」。考えてみるが思い当たる節はない。「どうしたの。どこか体調でも悪いの」。そう聞いても「別に…」としか返事は返ってこない。そのうち、僕はイライラとしてきた。
いつも「おいしい?」ってしつこく聞いてくるのはおまえの方だろうが。だから、こっちが先回りして気を遣ってやっているのに。そのふてぶてしい態度は何だ。僕は、自分の善意を踏みにじられたようで、腹ただしく、怒りが込み上げてくるのが分かった。
いかん、いかん…。僕は自分を落ち着かせるためにも書斎へ戻ることにした。「ごちそうさま。おいしかったよ。いつもありがとう」。そう告げてリビングを出た。
その間、かみさんは一言も口をきかない。僕は怒りを爆発させることをガマンして、書斎へ向かった。「怒らない、怒らない」。落ち着いて仕事に集中するのだ。僕は自分を必死になだめていた。
感情的になった頭を冷やすのに、場所を変えるのは重要だ。僕は書斎に戻ってクールダウンし、またもや、かみさんとの会話を冷静に考え直してみた。すると。自分の愚かさが見えてきた。ひどいのはかみさんじゃない。僕の方じゃないか。

僕がしていたのは「取り引き」だった

僕はかみさんに対して「愛情」を与えたつもりでいた。しかし、それは大きな間違いだ。僕はかみさんと「取り引き」をしようとしていたのだ。僕は「感謝の言 葉」と引き換えにかみさんの「喜ぶ顔」を手にしようとしていた。言葉を変えるならば「喜ぶ顔」欲しさに「感謝の言葉」を与えていた。そんなズルい心が見え てきたのだ。
それは「愛情」ではない。「愛情」とは「見返りを求めない無償の行為」だ。見返りを求める行為は「愛情」ではなく単なる「取り引き」。僕はかみさんとの 「取り引き」をしようとし、それがうまくいかなくなったために、怒りを覚えた。おかしいのはかみさんではない。むしろ僕の方だったのだ。
もし、僕が本当に「愛情」から、かみさんに「感謝の言葉」を伝えていたとしたら。かみさんに喜んでほしい、などという「見返り」を求めなかったことだろ う。たとえ、かみさんが「無言」であろうと、こちらを「無視」しようとも。そんなことは関係ない。僕はかみさんに「感謝」を伝え続ける。それで良かったは ずだ。そんなことに気がついた。

反応に期待せず、信じることを実践すればいい

人材教育のコンサルティングを提供する仕事柄、僕は何が起きても仕事とつなげて考えるのが癖になっている。さっきの僕のかみさんへ対する反応。あれを自分は仕事でもやってはいまいか。自社の社員へ対して「見返り」を求めて「指導」してはいまいか。
部下へ何かを教える時。指導する時。フィードバックする時。部下にそれを受け入れてもらい、部下に行動をすぐに正してもらうことを期待してはいまいか。そして、それを部下へ対する「愛情」だと勘違いしてはいないだろうか。
愛情」とは「見返りを求めない無償の行為」である。もしも僕の指導が部下への「愛情」に基づく行為であるならば、それは「見返り」を求めないものでなけ ればならない。つまりは、部下がそれを受け入れようが受け入れまいが気にしない。自分が部下のためになる、と信じたことをするだけだ。つまり、相手の反応 を気にし過ぎてはいけない
「相手を変えることはできない。しかし、自分を変えることはできる」。たとえ上司と部下の関係であったとしても、上司が部下を変えることはできない。部下が自ら上司の助言を受け入れれば部下は変わるであろう。上司がそれを決めることはできない。部下が自分で決めるのだ。
変えられるのは自分だけ。例え、部下が受け入れてくれなくても。僕が指導すべき、伝えるべきだと、心から思えたならば、僕は同じことを指導し続ければいい。
相手の反応は関係ない。「どう話せば伝わるだろうか」。自分に矢印を向けて考え、工夫し、再度チャレンジすればいい。「伝えてやったのに、それを受け入れないとは何事ごとだ」などと部下に対して腹を立てる方がおかしい、ということに改めて気づいたのだ。
そんなことを考えながら、部下の顔を思い出している時にまたもや、かみさんの声がした。「ご飯できたよー!」。どうやら機嫌が直ったらしい。
 かみさんの機嫌が良かろうが悪かろうが。部下が僕の言葉を受け入れようが受け入れまいが。相手の反応をコントロールしようとしてはいけない。僕は自分が信じたことを続けるだけだ。
今日もかみさんに感謝を伝えよう。決して見返りを求めずに。無言や無視で対応されても反応する必要はない。正しいと信じたことをすればいいだけなのだから。
このコラムについて

人を育てることはできない

リーダーにとって「部下を動かすこと」と「部下を育てること」は永遠のテーマである。なぜならば、この2つは最も重要でありながら、最も難しいことだから だ。いくら上司と部下の関係とはいえ、人が人を無理やり変えることはできない。上司にできることは、部下が「変わりたい」と思うきっかけを作ることと、 「変わりたい」と思う部下を助けることだけ。「何を語ったかではなく、誰が語ったかが人の心を動かす」リーダーの信頼性の高さがリーダーシップを決める。
著者プロフィール
小倉 広(おぐら・ひろし)
フェイスホールディングス代表取締役社長
小倉 広経営コンサルタント。大学卒業後、株式会社リクルート入社。組織人事コンサルティング室課長を経て2003年より現職。3万人以上の管理職と接するなど、多くの企業の組織づくり、人材育成を支援する。4万7000人の読者を持つ人気メールマガジン「人と組織の悩みコラム」を毎営業日配信中。30代向けの著書も多く「悩める30代のメンター」としても知られている。著書に『任せる技術』(日本経済新聞出版社)、『課長のスキル』(徳間書店)、『リーダーのための7つのステップ』(日本能率協会)などがある。--日経ビジネスから抜粋

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