2011年4月1日金曜日

今 全てを公開!拉致監禁体験ー神の道を選んだ者として

兄が7日間のワークショップに参加してから まもなく兄に縁談がもちあがりました。
私は兄が私と共に教会の祝福結婚をしてくれることを 切に願ったので その縁談に反対しました。

それが父の耳に入り 父は”兄の幸せを願わない妹がどこにいるか”と言って スリッパで私の顔をぶちました。 右目のまわりがまるでパンダの目のように(かなり広範囲に)紫色になりました。
数日間は紫色でした。 そういう顔で恥ずかしいとも思わず 仕事に行きました。

神さまを知った人は みんなこのように迫害を受けてきたと思って またその仲間入りができたんだから と自分を誇らしく思えて全く意に介しませんでした。 教会員になって1年も経たないときの出来事でした。

父の日が来て 教会長から何かプレゼントをするようにといわれました。 幼いときからしょっちゅう父にマッサージをさせられてましたが プレゼントした覚えはありません。(申し訳なかったです。)
それで サマーシャツを買って渡しましたらこんなもので騙されるものかと言われました。
私は ”いつか 死んであの世に行けば 私のやっていることがわかる。”と言いましたら 親を殺す気かと怒り出しました。 その後毎年(渡米するまで)プレゼントしましたが喜んでもらったことはありませんでした。 母は私が父にプレゼントをするのを自分がもらったかのように喜んでくれていたように思います。

仕事の後教会によって 最終バスで帰り 朝早く仕事に行きました。 私は家族と別行動になりました。
家庭奉仕の日を作るようにと教会の先輩に言われましたが それが見え透いた行動のようで心苦しくなりました。教会に通いだして1年程経っていました。

まもなく教会の仲良し4人でアパートに住みました。 母が敷金10万円をだしてくれました。 私のアパートにも来てくれました。 

それから1年後 みんなで一緒にフルタイムメンバーになりました。
そのときの父の怒りは頂点に達しました。 親に相談もなく仕事をやめたと言って。
私は親に相談するという概念が全くありませんでした。 相談するべきだったのかと自分で驚いたほどです。 

 怒る方も問題ですが 怒らせる方も問題です。 親孝行とは 親をさびしくさせないことと聞ききました。 寂しさの頂点に達したら 怒り 恨み そして憎しみまで大きくなります。
親の寂しい心情を汲み取ってあげれない あまりにも自分勝手で幼い私でした。 どうして娘を信頼できないのかという自分の情を抑えられない私でした。

アメリカに来る前の実母に会いました。 母は10万円くれました。 そんな母に ”親が子供を思うほどに 子供は親を思えない。 ごめんね。” と言いましたら ”それはそうだ。 いづれ お前が親になったらわかるときがあるだろう。”  と寂しそうに言いました。 本当に親不孝者でした。

しかしながら 神の道を選んだものとして 人情的に親のいいなりになることはできませんでした。 私は自分の命を価値あることに捧げたいと思いました。
幕末の志士’のドラマを見ては 自分もそういう生き方をしてみたいと思いました。
青年が国のために若い命を捧げたように。 いくら若死しても 自分の命を価値あることに燃焼しきって生きたいと思いました。 
生きる目的 価値がわからず もう死んでしまいたいと思った私でしたので 神の国建設のため 理想世界建設のために自分の命を投じたいと思った私でした。

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