2012年12月1日土曜日

今もう一度謙虚になって、

 

自分の次元で 自分の価値感で一生懸命生きてきた私です。 

 愛犬Millieちゃんのおかげで相手の立場で少しは考えられるようになりました。 Millieちゃんは神様の使いではないかしらとも思うぐらいです。

少しアドバンスですけど、今度は神様の心 神様の立場も考慮できる私になりたいです。

今までどれほど忍耐して私を待ってくださった神様でしょうか。 

長男が小学生だったとき 神様の愛はどこからくるかと聞いたとき、 Millieからくる。と長男は答えました。 私は 親から子に神様の愛が流れて 神様の愛でMillieを愛するんだ。と答えた私は 恥ずかしいです。 神様の愛なんて全くわかっていなかったのに、、、

今もう一度謙虚になって、 万物世界 自然から神様の心を探ろうと思いました。

神様からのメッセージ

2012年11月28日水曜日

これ以上の人生の喜びはどこに


                  

私は 35年前に理想世界実現に自分の命を捧げたいと思い、 統一教会に入会しました。
自分の命を投入しつくしても、 なお価値あるものに出会えた私は 幸せ者です。

しかし 左翼学生たちのように活動家だけで終わるのではありません。

真の愛の人格者を目指し、神の宿る真の家庭を作ることこそが、 天国の礎となることを強調しています。

私自身も身もだえしながら、 そこに到達するために努力しています。
そして努力できる自分を、うれしく誇らしく思えるのです。

これ以上の人生の喜びはどこにあるでしょうか。                                                                                                                                                                             

2012年11月18日日曜日

ありがとう! Millieちゃん。 マミー がんばるね。



 私の家には 14歳になるパーマネリアン種の犬がいます。小型のスピッツのような犬です。
名前は Millieです。

 子供たちべったりの犬でしたが、 大学のため家を出てからは、 私が犬の世話を全部しています。 しかしMillieちゃん、夫が帰ってくると真っ先に出迎えて、 夫に付きまとって夫の膝で休みます。 夫がトイレに行くと、 ドアの前でまっているのですから、
ある日 Millieちゃんを部屋に閉じ込めて、 そして夫を迎えたら、 叱られたことも、、

 私は、Millieちゃんが私よりも夫が好きなことを全く気に留めず、 あきらめてました。
Millieはメスだから、 男が好きなんだと思いもしました。

シカゴに行く数日前のことです。 金魚に餌をやったら、 夫に叱られました。 そんなに音をたてて水槽の蓋をすると金魚がショックを受けるとのこと。
はぁ~、 そんなにふうに金魚の身になったことなかったなぁ、、と思いました。

シカゴから帰ってくるといつものようにMillieちゃん、 夫にジャンプしてジャンプして、 喜びを表しました。 「Millieちゃん、 マミーよ.。」 と言うと、私のところに来るのですが、 夫のところに戻ってまたジャンプ ジャンプ。

 今回は気づかされました。 私に何か問題があるのかもしれない。と、
私はMillieちゃんに義務的にしか接してこなかったのではないかしら、
勿論愛してはいるけど、 行動に愛が伴わなかったとか、

 「Millieちゃん ごめんね。 悪いマミーだったわ。」 と心の中で詫びました。
すると、どうでしょう。 14年間1度も私の膝元にこなかったMillieちゃんが 私の膝で寝だしたのです。

 皆を待っているつもりの私でしたが、 皆に待ってもらっていた私です。
「お母さん いつになったら愛情あふれるお母さんになるの~ 」

『待ちつ 待たれつ』 あっ 『持ちつ 持たれつ』 だったけ。

Millieちゃんは 14年間も不平不満言わないで マミーを待ってくれたのね。
ありがとう! Millieちゃん。 マミー がんばるね。
 


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2012年11月12日月曜日

結婚生活は88年


中国で100歳超の夫婦が記念写真、結婚生活は88年
[南充(中国)5日 ロイター] 中国四川省の村で5日、101歳の夫と103歳の妻が、スーツとウェディングドレスを着て自宅で記念撮影に臨んだ。
写真を撮影したのは、呉従漢さん夫妻。呉さんは白いシャツとジャケット、黒い蝶ネクタイ、黒いズボン、黒い帽子の姿で、妻は白いウェディングドレスとベールを着けて撮影を行った。
2人は88年間結婚しているが、花婿、花嫁姿で写真を撮るのは初めてだったという。
 http://news.livedoor.com/article/detail/7119070/

うわ~ かわい~い。
私たち夫婦もそろって 100歳以上生きるって 手相を鑑定してもたったときに言われました。 45年後の私たち夫婦です。
ところで 101-88=13です。 13歳と15歳だったんですね。
二人で たくさんのことを乗り越えてこられたんですね。

2012年11月8日木曜日

ユダヤ人は ヤコブの子孫ではない???

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/_floorA3F_hb.html

 上記のリンクは物凄く面白かったです。 なんと夜を徹して読み続けてしまったのですから、、

ユダヤ人ということは、 ヤコブの12人の息子たちの一人 ユダの子孫ということなんですね。
そして現在の白人のユダヤ人は ユダの子孫ではなくトルコの上にあったハザール国の子孫(ヤペテ族)だったというわけですから。 

 これで謎がとけました。 ユダヤ人はセム族であるはずなのに、 どうして蒙古班がないのか、 いくら白人と混ざったとしても、どうしてアジア人ぽくないのか、 不思議でした。 ユダヤ人と言っている夫は髪が茶色で目の色は青です。 でも義父は少しアジア系のような気もするけど、、、

 ハザール国はユダヤ教を国教にしてイスラム教がヨーロッパに伸びていくのをストップしたそうです。 
その功労を神が覚えて、(別に神様がイスラム教を疎んじたわけではなく、 神の摂理がユダヤ教からキリスト教に代わったからです。) その子孫を祝福したのではないでしょうか。 ノーベル賞受賞者にユダヤ人が多いし。

 夫にあなたはヤコブの子孫ではないかもしれない。と言ったら その話は読んだことがある。 一度DNAを調べてみたい。と言いました。

 現在のユダヤ人がイスラエルの子孫ではなく、 日本人であることが証明されたら、天地がひっくり返ってしまいそうです。

 しかし 現在のユダヤ人がイエス様を殺してもいないのに、塗れ衣を着せられ、ナチスから虐待を受けたわけで、 その功労と苦労には頭がさがります。

 ちなみに 現在イスラエルでは、 アジア系イスラエル人(たぶん本当のユダヤ人)は差別を受けているとか、、 

 白人イスラエル人が今現在イスラエルで有力なのに、 彼らの先祖がその土地の住民でなかったとしたら パレスチナ人はなんとする??

注) ノアの子孫はセム ハム ヤペテです。 セムは黄色人種 ハムは黒人 ヤペテは白人の先祖です。
    聖書の創世記に セム族はアジアのほうに ハム族はアフリカのほうに ヤペテ族は 地中海に移り   住んだと書かれてあります。


2012年11月6日火曜日

生きるということは、愛することを学び続けること




 週末、長女に会いにシカゴまで夫と共に行ったのは、良かったのですが、 ハリケーン サンディのため、 帰りの飛行機がキャンセルになりまして、  1週間の滞在となりました。 夫は、出張で4日間シカゴからIOWAに車で行きました。 おかげさまで 母子水入らずで過ごすことができて、感謝してます。 しかしNJの友達の 家は、ハリケーンで浸水、そこに置いていた私の車も廃車となりました。 ポジティブに考えて、 ボロ車だったし、、、でも被害にあった方たち、寒い中 皆 大変です。

 私は、娘のいない間 アパートを掃除したり ブラブラとショッピング(娘のためにも買いました。)まるで一人旅のように、、、結構 楽しむことができました。
神様から自分と向き合って、 自分だけを愛する時間を与えられたようです。 娘と一緒に寝ることもできました。 何年ぶりかしら、 一緒のベッドで寝るなんて、、

 そして、  愛情たっぷりの夕食を準備するのですが、 彼女も私に気を使うらしく、「金曜日に帰ってくれるので、うれしい。」 と、はっきり言われました。 そ の気持ちは十分わかるけど、 私だったら面と向かっては言えないけど、、 親は子供にはそうは言えなくても、 子供は親に言えるのかしら? 理解しがた い。

 それで つくづく思ったのですが、 『生きるということは、愛することを学び続けること』 ではないかしら、
聖書にも 愛さないものは、死のうちに留まっている。 という聖句ありましたね。

 どうやら、結婚とは愛の学校の入学式 だったんだなぁ。なんて、今頃気づいている私なのです。

 愛とは、 許し、受け入れ、 そして待つこと。 許すことも、 受け入れることも努力しているわ!
それで、いつまで 待てばいいの~?

 待つは 忍の字のごとく、 心にナイフが刺さっているような状態です。 人生が愛の学生生活であり続けるわけだから、 心のナイフと共に人生を謳歌するのは、なんとも困難極まることであります。

 心と心が次第に通じ合って心のナイフがひとつひとつ取れていくことに感動と感謝の涙を流すのが、人生を本当の意味で謳歌することなのかもしれない。

 徳川家康が 『鳴くまで待とう、ホトトギス 』 と言ったのは有名です。

  関が原の戦いに勝った後も、秀頼と淀君が大阪城にいました。 そして豊臣に付いた40代の西国大名もたくさんいたわけです。 そんな中で60を過ぎた家 康。 長生きのため健康維持の涙ぐましい努力をすること10年。 西国大名はどんどん死んでいって、 遂に迎えた大坂の陣。 戦のない世の中を目指して築 き上げた徳川幕府。

 待つことは、いつか来る勝利のために、 備えることなんですね。 それも忍の一字です。

 ちなみに 家康は健康管理のため 食事制限をしていたのですが、 豊臣を滅ぼした後、 気を許したのか、 食べすぎが原因で死んだそうです。

 目標設定が、 豊臣打倒だったからねぇ。 無理もない。
目標設定を 永遠に朽ちない 愛の人格者にするべきでしたね。 永遠に待つために、、
いや、 永遠に愛し続けるために、、、、







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