週末、長女に会いにシカゴまで夫と共に行ったのは、良かったのですが、 ハリケーン サンディのため、 帰りの飛行機がキャンセルになりまして、
1週間の滞在となりました。 夫は、出張で4日間シカゴからIOWAに車で行きました。 おかげさまで 母子水入らずで過ごすことができて、感謝してます。 しかしNJの友達の
家は、ハリケーンで浸水、そこに置いていた私の車も廃車となりました。 ポジティブに考えて、 ボロ車だったし、、、でも被害にあった方たち、寒い中 皆
大変です。
私は、娘のいない間 アパートを掃除したり ブラブラとショッピング(娘のためにも買いました。)まるで一人旅のように、、、結構 楽しむことができました。
神様から自分と向き合って、 自分だけを愛する時間を与えられたようです。 娘と一緒に寝ることもできました。 何年ぶりかしら、 一緒のベッドで寝るなんて、、
そして、 愛情たっぷりの夕食を準備するのですが、 彼女も私に気を使うらしく、「金曜日に帰ってくれるので、うれしい。」 と、はっきり言われました。 そ
の気持ちは十分わかるけど、 私だったら面と向かっては言えないけど、、 親は子供にはそうは言えなくても、 子供は親に言えるのかしら? 理解しがた
い。
それで つくづく思ったのですが、 『生きるということは、愛することを学び続けること』 ではないかしら、
聖書にも 愛さないものは、死のうちに留まっている。 という聖句ありましたね。
どうやら、結婚とは愛の学校の入学式 だったんだなぁ。なんて、今頃気づいている私なのです。
愛とは、 許し、受け入れ、 そして待つこと。 許すことも、 受け入れることも努力しているわ!
それで、いつまで 待てばいいの~?
待つは 忍の字のごとく、 心にナイフが刺さっているような状態です。 人生が愛の学生生活であり続けるわけだから、 心のナイフと共に人生を謳歌するのは、なんとも困難極まることであります。
心と心が次第に通じ合って心のナイフがひとつひとつ取れていくことに感動と感謝の涙を流すのが、人生を本当の意味で謳歌することなのかもしれない。
徳川家康が 『鳴くまで待とう、ホトトギス 』 と言ったのは有名です。
関が原の戦いに勝った後も、秀頼と淀君が大阪城にいました。 そして豊臣に付いた40代の西国大名もたくさんいたわけです。 そんな中で60を過ぎた家
康。 長生きのため健康維持の涙ぐましい努力をすること10年。 西国大名はどんどん死んでいって、 遂に迎えた大坂の陣。 戦のない世の中を目指して築
き上げた徳川幕府。
待つことは、いつか来る勝利のために、 備えることなんですね。 それも忍の一字です。
ちなみに 家康は健康管理のため 食事制限をしていたのですが、 豊臣を滅ぼした後、 気を許したのか、 食べすぎが原因で死んだそうです。
目標設定が、 豊臣打倒だったからねぇ。 無理もない。
目標設定を 永遠に朽ちない 愛の人格者にするべきでしたね。 永遠に待つために、、
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