2012年1月4日水曜日

一心奉仕

皆様 明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。

年末年始 あわただしく過ごしまして 今日やっと更新する次第です。 そういう忙しい中にあっても読み続けた本を紹介したいと思います。 それは”一心奉仕”という題で、 最近69歳で亡くなられた一心病院の院長であられる上崎道子(こうざき みちこ)先生の本です。

命ある限り、喜びと感謝で、与え尽くすことに生き抜き、 文鮮明師の教えを実践された方です。

先生は、 海外医療奉仕団を送るための基盤の病院として一心病院を文師の願いの基に創設されました。

亡くなられる40日前ごろから 因縁のあった皆様に電話して、 別れを告げて生前の自らの不足さをわびられたそうです。
そして告別式には録音した本人のメッセージが流されたそうです。 私も人生の最期はこのようにありたいものと思わされました。
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本人のメッセージの感想文(一心奉仕から抜粋)
告別式で公表された”本人メッセージは最後のときを迎えることを覚悟して、 誠心誠意を込めて録音されたものであり、 瀕死の重病人のそれとは思えぬ、 感謝の思いを表明すると同時に自らの愛の不足を何度も重ねて懺悔し謝罪する其の高遠なる魂の純粋は真情が満ち溢れる感動のメッセージでありました。 上崎先生が神様とメシア(キリスト)にたいして不動の信仰えお土台とした強い愛を持ったかたであり、、、、、、、略

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<本人が病院で出している一心だよりに記載したものからの抜粋>

聖書の中に受くるより、 与えるは幸いなりという言葉gあります。 私たちは健康で衣食住が与えられている限り、 与える喜びで生きてみたいと思います。   ~一心だより  12・1・1978

人間は胃の病気という一箇所を患ってもいろんな気管に影響を及ぼし、 影響を受けるため総合病院という前科がそろうことが目標となったわけです。
しかし、それで終わるわけではなく、 全世界の医療問題を解決するための第一歩としての病院という大それた目標をもっています。 、、、、、   中略、、、
一心という状態は自己中心の我を捨てて神の愛とひとつになる状態をさしているわけです。
~心だより 6・1・1990

人は老いるにつれて謙虚になっていきたいし、 永遠の命に関係する愛や奉仕や犠牲の尊さを知って生きたいものです。  一心病院はこのような精神を基に 人生を大切に思い、 自分の祖父母や父母のように患者様に尽くしていきたいと思っています。  ~一心だより 5.15.2006

海外に行きますと、 日本の報道で見聞きしているのとは違っていて、 貧しさは底知れるほどです。、、、、、、、、、、、、中略、、、、、、、、、、、

開発途上国であればあるほど、 貧富の差があります。 どうしてこんなにと、はじめは 腹立たしく思ったのです。  しかしよく考えてみると、 戦後経済大国になった日本を含めた先進国と開発途上国との関係は、 貧しい国の国内での構造と同じ構造になっていることがわかりました。

日本が豊かになってきた背景には日本人の努力もあったけど、 結局は開発途上国の資源を安く買い 易い労働力を使いものがない国に加工品を売り 日本が豊かになっているわけです。

こういう経済状況の中にあって、我々は自国の利益のみを追求してはならないと感じさせられるのです。 ~一心だより 11.15.1994

私が診察した中で最も年長の90歳ぐらいのおばあさんがいました。 診察が終わって"Thank You"と言って私の目をじっと見つめたその方の目 が涙でぬれたとき、 私の目にも涙が溢れたのです。

長い歴史をかけてこんなにも日本人とフィリピン人が親しく交わる交わる時が来たことへの感動と感謝をあらわしているように思いました。  ~8.1.1985

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下記は、白石医師が語る上崎先生と海外奉仕団です。

 1971年から1983年で合計13回の韓国医療奉仕ツアーで、韓国人医学生学生が語りました。
私のおじいさんは戦争の時、 日本人に家族の前で殺された。 ひどい日本人のことを知りたくて、 今回参加しました。 しかし実際、らい患者であろうと、なかろうと、 お金持ちであろうが、貧しかろうが、 普通の人と同様に接する皆さんの姿を見て、 親切で丁寧な日本人の国民性を知りました。

これを聞いて医療奉仕団というのは国と国の心の溝を埋めることができると実感したことがあります。 上崎先生が医療奉仕団を創設されたとき、 日本は第二大戦でアジアの人に多大は迷惑をかけた。 それを償うために、 海外奉仕が ”大海の中の一滴”になればいいとおもって始めたと其の動機を述べられたことがありましたが、 小さな種が大きく実ったと思いました。

インドシナには1979年から海外医療奉仕団の活動が始まりました。 上崎先生も何度か視察に来られましたが、 派遣される7、8人の医療奉仕団はみんな遺書を書いて行ったものです。 

砲弾が飛び交う場だしどこに配属されるかわからないからです。

現地ではご飯に石が入っていて、 食べるとガリっと音がしました。 頭の上をネズミがチュルチュルと走ったことがあります。
ズボンやパンツをつぶした雑巾で食卓を吹いたりするため、、、、略

タイ カンボジアの国境キャンプは水がありません。 泥水をろ過して沸かして飲むのです。 ですから
病気で一番多いのが下痢 消火器系です。

1982年中央アフリカ共和国で駐在大使が診察を受けにきたり、 朝3時に家を出て診察を受けるために歩いてきた人もいました。
そんな話を聞くと、 かえって申し訳なく思うのでした。

上崎先生は必ず視察にいかれました。 イランにも アフリカにも足を運ばれました。


アフリカの主食は芋の粉でおかずは芋の葉っぱです。 肉はネズミを焼いて食べますし、 毛虫をふかして、、、、
夜 電灯に集まる羽ありを捕まえて、 そのまま口にいれて羽だけ出して食べていた。

フィリピンでは 上崎先生は医療団を率いてラモス大統領にもおめにかかっています。

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