家族の話し合いと言う名のもとに、統一教会反対派が行って来た拉致監禁・強制改宗の実態は、世の人たちは知らずにおり、統一教会員すら知らずに来た悲惨な事実は山のようにあり、これを明らかにして、正しく伝えることは、反対派が如何に非道な行為をして来たかを知らせるだけでなく、その犯罪行為が、国法のもとに処罰されない限り、法治国家である日本の権威と威信も失墜し、国際世論は、日本を非難し、その信頼を失うことになるでしょう・・・
そのような愚かな選択と判断は、いつまでも日本が継続できなくなることは明らかであり、一時の国益や浅はかな人間の思惑だけで、この問題を放置することは、この日本国家にとって大きな負を生み出すことになるので、花も黙っていることができません・・・
さて、今日は、その話し合いの実態を紹介しようと思いますが、この話し合いは、統一教会の「脱会」という選択肢を選ばない限り、いつまでも密室の監禁から逃れられないということであり、そのために、説得を受ける側の統一教会信者は、脱会しない限り終わりのない地獄の苦しみを味わい続けることになるということです・・・
本当の話し合いなら、自由な環境で行い、お互いの心を通じ合わせ、完全に理解し合えるまで、徹底的に話し合えば良いのではないでしょうか?
それなのに、どうして拉致監禁をして、一切誰とも連絡の取り合えないマンションの一室に閉じ込め、多額のお金を支払って反対牧師を手招きして、その反対牧師とばかり話をさせるのでしょうか・・・?
反対派は、「家族だけでは救えないけど、家族にしか救えない」(日本海新聞07.5.28)と語り、脱会説得の成功は、あくまでも親族と反対派のスクラムを組んでの闘いを必須条件としており、「説得は、牧師に任せなさい・・・」と指導をしており、このような異常な犯罪行為を犯してまでの環境づくりは、この反対牧師に引き合わせて、脱会説得するためにあり、決して話し合いなどという甘いものではないのです・・・
あの新体操の日本を代表する山崎浩子さんが、統一教会の信仰を棄教させるまでに行われた過程を回想しながら、山崎浩子さんご自身の告白の中に、「こんなの話し合いじゃない」(『愛が偽りに終わるとき』)と泣きわめいて抗議しており、話し合いは建前であって、脱会成功のための作戦であることは明らかです・・・
そして、このような特別な環境を与えた反対派と親族に対して、それを拒絶すれば、無期限とも言える監禁生活を強いられ、延々と継続することになるのですから、これがどうして話し合いだと言えるのでしょうか?
監禁をした山崎浩子さんのお姉さんの言葉ですが、「一生でも二生でもつきあう。もう離婚覚悟で来ている」というこの言葉の意味が、何を意味するかは、この背後の事情がわかれば読み取れるはずです・・・
もちろん、脱会をしてしまった山崎浩子さんが、もはや裁判を求め、訴えることはなく、脱会という結果を出すまで、徹底したツメを行い、監禁を継続する理由もそこにあるわけです・・・
これが、家族の話し合いですか?
<幸せの花ちゃんブログより抜粋 >
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