2013年6月5日水曜日

12年5ヶ月の話し合い!??

後藤徹氏の民事裁判、被告・松永堡智牧師と後藤氏兄嫁の本人尋問

2013年6月4日
 6月3日(月)、東京・霞が関の東京地方裁判所で、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」 の後藤徹代表が、自身に対する拉致監禁・棄教強要に関与した親族や新津福音キリスト教会の松永堡智(やすとも)牧師、職業的改宗活動家の宮村峻(たかし) 氏などを相手取って起こした民事裁判の第16回口頭弁論が開かれ、被告の松永牧師と後藤氏の兄嫁の本人尋問が行われました。

 松永牧師は主尋問で、統一教会信者に対する「話し合い」は、あくまでも「家族が主体である」と繰り返し供述し、自らが家族を教唆していた事実を否認。「話し合い」において、「信者の意志に反したことはしてはいけない」などと訴えました。

 原告代理人弁護士からの反対尋問では、松永牧師自身が脱会説得のために書き 記したノートやメモなどについて問い詰められると、「ある人の体験をまとめたもの」などと第三者に責任転嫁する姿が度々見受けられました。更に追及を受け た松永牧師は、回りくどい物言いを繰り返し、裁判長から「質問に対して結論だけをお答え下さい!」と注意を受ける場面もありました。

 また、過去に松永牧師が関わった脱会説得において、「話し合い」をしている 信者が「救出依頼のメモ」をマンションの外に投じたという事例が1件あったことを認めた上で、「(信者)本人は監禁だと言うんだけれど…」と、主尋問で否 定してきた「信者の意志に反したこと」への自らの関与を示唆する格好となりました。

 午後の反対尋問の続きでは、原告側から提出された松永牧師に「保護説得」を 受けた多数の信者らの陳述書から、「すべて松永牧師の指示」だったことが指摘されましたが、松永牧師は自らの教唆をことごとく否認。妊娠5か月になる信者 の保護説得に関与したことについても、「家族の意向」を理由に挙げましたが、答えに窮している様子も伺えました。

 その他、昭和63年に作成されていた信者の陳述書にも松永牧師の脱会説得に ついて、「信者獲得のための卑劣な行為」などと明記されていたことや、松永牧師により脱会させられた元信者が、松永牧師が経営する幼稚園のバスの運転手を させられていたなどの記載も紹介されましたが、松永牧師は否認を繰り返すばかりでした。

 反対尋問の終盤に、後藤氏の家族をはじめ松永牧師が関わった信者の「家族(関係)が滅茶苦茶になるのは、誰の責任なのか?」と問い詰められると、松永牧師は答えに窮してしまいました。

 一方、後藤氏の兄嫁は主尋問で、後藤氏が「話し合いを承諾していた」という主張を繰り返しただけでなく、「徹さんに(話し合いが行われている)マンションから出ていくように数え切れないほど言った」などと供述。

 反対尋問で兄嫁は、答えにくい質問に対して度々、「私は分からない」と発言しましたが、宮村氏が信者との「話し合い」において、信者に「バカ」などと中傷を行っていたことを一部認める発言も見られました。

 後藤氏の「話し合い」が12年5か月にも及んだのは、「(後藤氏が)引きこもっていたからだ」とする被告側の主張に対して、後藤氏の本人尋問の供述が「引きこもっていた人の供述か?」などと問い詰められると、兄嫁は「(後藤氏は尋問を)よく練習したんだな」などととぼけた回答を行いました。

 今回の尋問の冒頭、松永牧師の陳述書が5月31日(金)午後5時に原告代理人弁護士に送られてきたことに対し、原告代理人弁護士から異議申し立てがありましたが、最後に裁判長も「(被告側が)陳述書を直前に出すことは甚だ遺憾」と厳重な注意を促しました。

 次回は、6月17日(月)午前10時から午後5時まで803号法廷で、後藤氏の妹と宮村氏が出廷し、被告本人尋問が行われます。なお、次回法廷での傍聴は抽選になる予定ですので、詳しくは東京地裁の傍聴券交付情報をご確認ください(通常は、開廷時間20分前までに東京地裁玄関前の指定場所で抽選券が配布され、その場で抽選が行われます)。


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2013年5月26日日曜日

月刊誌『宝島』7月号に、「統一教会信者 “拉致監禁” 裁判傍聴記

月刊誌『宝島』が統一教会信者に対する拉致監禁問題を紹介

2013年5月25日  日本統一教会の公式ページの最新記事
 5月25日(土)発売の月刊誌『宝島』7月号に、「統一教会信者 “拉致監禁” 裁判傍聴記」と題する4ページの記事が掲載されました。

 5月14日(火)に開かれた後藤徹氏の民事裁判を傍聴した記者は、「素人目にも(後藤氏の家族が)『閉じ込めていたのではないか』という印象だった」と感想を綴っています。

 また、脱会説得に関わっていたカトリック教会の神父や、かつて「脱会説得 者」だった人物へのインタビューを通して、「(脱会)説得者側のカルト性」についても言及。「脱会させる方法・マニュアルは確立されていて、生活空間から の切り離し、猛烈な自己批判要求、手記執筆、脱会届、そして教会側への裁判までが1セットでした」などの証言が紹介されています。

 記事は、「オウム事件の明確な総括もない中、日本人と宗教を考える上でも見過ごせない裁判であり、黙殺してはならないと思う」と締めくくられています。


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2013年5月15日水曜日

もしも 神様がおられるのなら、、、


もしも 神様がおられるのなら、 神様は私のことを愛していらっしゃるはず。
神さまがおられることを前提として、 自分の人生を考えてみるのはどうでしょうか?

関心がある方は 下記をクリックしてください。

統一教会紹介




2013年5月10日金曜日

忘れることへの努力

 学校教育は覚えることを 重要視しますが、 人生60年近く生きてきて思うことは、 忘れることへの努力って大切だなあ、 と思うのです。

 以前 「喧嘩してわかった妻の記憶力」 という川柳が一等賞をとったそうです。

 男性よりも 女性の方が事細かく忘れずに覚えているようです。
この世の男という生き物は、 自分に都合が悪いことは、全部忘れるシステムになっているのではないかと、 思うのです。

 ですから、 私も 夫の今までのことは全部白紙にして夫が私を愛してくれたことだけを覚えて天国にもって行きたいと思います。

 ところで 私がひどく感銘を受けたのは、 伊達政宗の人生です。

 彼は、 5歳の時、 病気で片目の視力をなくし、家督を継ぐのにはふさわしくない、 と思われて育ちました。
次男を跡継ぎにしようと、 次男を寵愛する母。 彼は、 そんな実母から 二度も殺されそうになりました。 幼少の時に一度、 そして家督をついだ後、 次男を跡継ぎにするために、正宗を食事に招待して、毒殺しようとしました。 腹痛が起こりましたが、 幸い命を落とすことはわりませんでした。 その後、争いの原因である弟を自らの手で殺し家督相続争いを終わらせました。
そして実母は実家である最上(お隣の国)に帰りました。

 その後 秀吉が亡くなり、 権力を持って来た会津。 正宗は徳川に見方して、 会津を最上と共に挟み撃ちする計画をたてました。
しかし、 会津に向かう徳川に石田三成が撃ってきました。 徳川は引き返したので、最上も正宗も苦戦しました。 そしてついに、会津が最上を滅ぼす直前、 家来は 最上を救うのはあきらめてほしいと嘆願しました。

 その時、 正宗は家臣に言います。 「最上城に母上がおられる以上、 我が身が滅ぼうとも母上を救いに行くのが 息子の道理ではないか。」 

  徳川と石田三成の戦いは一日で終結。 すぐに徳川が応援に駆けつけ、 徳川 正宗の大勝利となりました。

 しかし 領地は拡大できず、岩手にのみに止まることとなりました。 外国に使者を送ったり、ローマ法王に手紙を書いたり、 海外に目をむける先見の明はありましたが、 鎖国で実りませんでした。
ちなみに正宗の時も大きな津波があって、 それに備えるために正宗も努力したようです。

 ところで、私の心を動かしたのは、 自分の命を一度ならず、二度も 殺されそうになりながらも、 実母を命がけで救ったことです。 なんと心の大きな人物だったことでしょうか。
憎しみを愛で消化し、 忘れて、 さらに愛する行為

 親が子供に信仰を捨てさせようと 今なお 日本で起こっている拉致監禁。
信仰者にとって信仰を捨てることは 命を捨てるのも同然のことです。

 親も子供も傷つくことになるわけですが、、 お互い愛し許さなければ天国にはいけません。

 特別は信仰をもっていなかった伊達政宗の息子の道理は、 拉致監禁経験者にとって、 大きな見本となると思うのです。



2013年4月28日日曜日

自分の理想世界を建設したい



自分の内面の世界を見つめることですね。
あまりにも 外的な世界に翻弄されて生きてきたみたいです。
だから たくさんの人が人生に疲れて 自殺したりするのかもしれないですね。





わかります。
願い事がもうすぐ 現実のものになることを信じて 感謝して生きることですね。
神様は私たちに、 創造性をあたえてくださったわけですから、 それを実践しなくっちゃね。

自分自身を再創造して 自分の理想世界を建設したいです。




2013年4月25日木曜日

47歳 プラス



4月23日に47歳 プラス 10歳になりました。 還暦までに それなりの人格を身につけたいと思います。
お誕生日に家族から愛と祝福を受けて、しみじみと家族のありがたさを感じる私です。

還暦に歌いたい歌の紹介です。