2011年3月12日土曜日

今 全てを公開! 美智子の拉致監禁体験ーーアベルの失敗編  

日本の大地震犠牲者の方に 心からお祈りを捧げます。

今回は私の生い立ちから少しシェアーしたいと思います。私は 4人兄妹の末っ子で兄と姉が2人おります。
父は 私が小学生の時から私に"おまえは 嫁にいかないで婿をもらえ、 お父ちゃんは家を近くに建ててやる。”と言ってました。 一番上の姉が結婚するとき 私はまだ高校生でしたが、 母も "美智子は末っ子やさかいに すぐには嫁にやらん。
当分は家においておく。”と近所の人に話してました。

21歳で統一教会の信者になった時、私は人生の目的を見出し、雲の上を歩くような気持ちで6ヶ月程過ごしました。
真理を知った限りは もういつ死んでもいいとも思いました。
悩める美智子が 幸せ美智子に変身したので、そして突然神様を信じだしたので、家族はみんなびっくりしました、

家族のみんなは末っ子の私を愛しているので、そして私を理解するために、兄は7日間 姉2人は2日間 両親は1日のセミナーに参加して 全員賛同教会員になってくれました。
礼拝にも みんなで参加したこともありました。 私は 家族のみんなが私の言う事を聞いてくれるので幸せでした。
しかし その幸せは長くは続きませんでした。

私の家庭は先祖をとても大切にする仏教徒の家系ですが、 私が小学校の頃から,共産党の新聞(赤旗日曜版)を取るようになりました。 赤旗を配る若い男性の熱心さに負けたと思います。
母は"共産党は先祖と仏壇を捨てろと言うから嫌いやけど 赤旗のお兄ちゃんは共産党も自民党を刺激するのに必要やと言った。”と言ってました。 とても愛嬌のある人でした。 私も愛読したので 高校生の頃は 赤になる寸前のピンクになっていました。

ある日私は 統一教会のことを彼に言いました。 あんなにやさしい笑顔だった彼の顔が突然恐ろしい顔になって怒り出しました。 私は あんなにやさしいいい人が 突然あんな恐ろしい人に変われるものだろうかと びっくりして言葉がでませんでした。

私が 教会に熱心になればなるほど、 両親はさびしくなり 赤旗のお兄ちゃんの話を聞くようになったと思います。
そして 私は傲慢でした。

私は家族に対して どうしてこんな低次元なテレビを見て喜んでいられるのだろうか、 私は日本と世界の将来について憂いているのにと思いました。

聖書にさびしいお兄ちゃんカインは 傲慢な弟のアベルを殺したことが書かれています。。
私は まさしく傲慢な末っ子アベルだったのです。 しかし わがままで甘えん坊の末っ子が家族の親の立場には なかなか立ちきれないものです。 それをあえて要求しなければならない神様はなんとかわいそうな神様だったでしょうか。

そういううわけで 氏族復帰の道が塞がれて 家庭から迫害される身となりました。 深く私を愛していた分 私を諦められない家族であったのです。

しかし 真実な愛は 相手の永遠の幸せの為に生きる愛です。
相手をコントロールしようとする自己の欲望を中心とした愛は ただの執着心にすぎないのです。
しかし 拉致監禁する両親は 子供が自分のいうとおりにしていれば 絶対幸せになると思い込んでいることが問題です。

自分の思い込みの世界に気づいていくことが大切です。(これは私の課題でもあります)

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2011年3月7日月曜日

夢実現の大きな秘密

夢実現の大きな秘密

意図を設定すること

それが実現すると信じ切ること

そのための全ての言動をすること

結果が何であれ最適だと受け止めること

意図は、何でもかまいません。

あなたにしっくりくることが一番です。

そして、それが実現すると、100%信じてみると、
それが一番のエネルギーとなります。

疑いはブレーキですから。


では、どうやって疑いのブレーキをはずすか?

自分をどうやって信じるか?

~人生最適化 メルマガ講座より抜粋~

”諦めないで信じ続ける” それは信仰だと思います。
そのため すべての言動はポジティブな言葉になります。
結果が どうであれ 神が自分に与えてくれた 最高の贈り物と 思うこと。 なんとすばらしいことでしょうか。
この考え方には失敗なんてありえないのです。

では どうやって 疑いを乗り切るか。 それは どうやって確信を持ち続けれるかと同じことです。
確信度は感謝度に比例するそうです。(富を手にするだだひとつの法則 ウォレス ワトルズ)
毎日 ありがとうを唱えましょう。
ぜひ この成功哲学の本を読まれることを お勧めします。

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2011年3月6日日曜日

(補足編-1) 今 全てを公開! 美智子の拉致監禁体験とその真相 

私が今でも忘れられないのは 精神病院から裸足で逃げ出したときのことです。

医者は父と兄の話だけを聴いて 私のことを正常でないと言った時 父と兄が医者の話に注意を傾けたとき 私は裸足で病院から逃げ出しました。

すぐにタクシーが止まりました。 私は"松ノ浜までお願いします。 お金は着いたら払います。”と言いましたら 運転手は
”そこまで行くとなると 料金はものすごく高くつくよってに、、、、どんな事情があるんか知らんが、 .近くの駅まで送るさかいに そこから帰り" と言って名刺と3000円を下さったときのこと 今でもはっきりと覚えています。
"お金は返せる時に送ってくれたらええから"と言って、

これは絶対神様の実在証明になると 思いました。

”捨てる神あれば 拾う神あり” とはこういうことでしょうか。

その運転手は今はもう霊界におられるでしょう。
いつか霊界に行ったとき お礼を言いたいです。

勿論 お金3000円はすぐに送りました。 ご心配なく。


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2011年3月3日木曜日

今 全てを公開! 美智子の拉致監禁体験とその真相   

人生の目的について悩んでいた私は 統一原理に21歳のとき出会いまして 真理、死後の世界の存在、神の存在を知りました。  その後、父と兄からの5回に及ぶ拉致監禁の後 (精神病院に連れて行かれたり、 親か教会かどちらかを選択しろ、 もし教会を取ったら お前を殺して自分も死ぬと 脅かされたり、、、、)大岡さんが私をつれて私の父を説得に行ってくださいました。 

父は”親の言う事を聞かない こんな娘はいらない”と激しい口調で言いました。 大岡さんは ”それでは私が みっちゃんを養女にします。 そしてりっぱに結婚させてみせます!” と きっぱり強く言い返しました。
売り言葉に買い言葉の一瞬の出来事が本当になりました。
実親に疲れきっていた私は籍を抜いて、大岡さんの養女になりました。 25歳のときでした。

統一教会の教えは 人種差別をなくして神の下に人類一家族を目指しています。そのための結婚は聖なる儀式であり
私たちはそれを祝福とよびます。
国際祝福は人種差別を乗り越える最短距離です。 

大岡の養母は私に国際祝福を強く願いました。 国際祝福を受けたら 私の実の両親はさらに嘆き悲しむことはわかっていながらも 養母の期待を裏切るようなことは私には到底できませんでした。 養母は黒人と受けても感謝しなさい。と私に言いました。 誰と祝福を受けても 私の祝福を喜んでくれる人がひとりいると それだけを希望に祝福に臨みました。

1982年  Rev. Moonによって 今の夫とマッチングと祝福(合同結婚式)をマジソンスクウェアーガーデンで 受けました。(2075双) 私は26歳 夫は24歳のときでした。

帰国して祝福のことを実父母に報告しましたら もうすでに 籍を抜いて自由になった身であるにもかかわらず 父と兄は親に言わずかってに結婚したと言って激しく怒り
母は "統一教会の信仰を持ち続けるにしても せめて夫が日本人であれば 孫の世話ができたのに”と嘆き悲しみました。
父は”お前の教育が悪かった”と母を攻め立て 母はノイローゼに 父は高血圧で倒れました。
兄は"お前ほどの親不孝者はいない”と私をののしりました。

遂に 気丈な私も限界が来ました。 自律神経失調症になりました。 食欲はなくなり 歩けなくなりました。 人と話もできなくなりました。 センターの部屋から出ることもなく トイレには這って行きました。 同じ部屋の姉妹は元看護婦でそれはそれは 真心こめた看病をしてくださいました。 前線から帰ってきては私の看病をしてくれて それを自分のミッションのごとく 中心者に報告してくれてました。動けなくなった私を朝に夕に毎日勇気づけてくれました。
6ヶ月後 全快した私は 渡米しました。

アメリカの始めての任地はノースキャロライナでした。 ラリーという美しい町にセンターがありました。
センターに行く道は 大きな木が両脇に茂っていて ディズニーの白雪姫の森の中にいくような別世界に来た雰囲気でした。

3年間はお互いを理解しあい 人格を磨くために別居しました。彼は毎週手紙を送ってきてくれました。 彼の手紙を読むのが 私の英語の勉強にもなりました。 しかし英語が全くわからない中で ウエスタン2,3人と私一人が日本人の開拓生活は 私ほど 苦労している人はいないと思う程でした。 2075双の日本人姉妹はみんなそう思ったようです。
その間 4回も 自律神失調症になりました。  

養母は私によく手紙やお小遣いを送ってくれて 激励してくださいました。 私が おねだりしてほしいといったものは何でも 送ってくださいました。 養母は娘がアメリカでがんばっているのが 天下を取ったような気分だと手紙に書いてきました。

30歳で家庭を出発しまして 3人の子供に恵まれました。幼い子供たちをつれて グリーンカードを取るために夫と日本にいきましたが 父は 私たちと会うことを拒絶しました。(1992年) 母と姉たちと天王寺の駅で会いました。
養母は かわいい孫の元気な顔をみたら もう思い残すことはないと言って喜んでくださいました。 あなたの両親を説得することができず 理解してもらえず  それだけが心残りで申し訳ないとも言われました。 籍をもとに戻すようにと養母から言われましたが いまさらと言って実母に断られました。

それから 数年後私一人で日本に帰ったとき、意を決して 父に会いにいきました。
父は笑顔で ”どこのどなた様でいらっしゃいますか?” と言いました。 "美智子です。アメリカから帰ってきました。”
と言いましたら、"私はアメリカには娘はおりません。” と笑顔で話してくるではありませんか。
”どこのどなたか知りませんが、遠い所からわざわざ、、、、、、、、、、、、”

私は全身の力が抜けて 呆然と立ちすくんでしまいました。 
後で母に確認しましたが 父から私の記憶だけがなくなってました。 あまりにも 悲しい出来事だったから 父も忘れる努力をしたのでしょう。

私は信仰をもって20年間 親から理解されるためにどんなに苦労したことか。
忘れようとしても 忘れることができず、愛と憎しみの交差する中で信仰で許そうと 愛と感謝で乗り越えようと どんなに身もだえしたことか。アメリカから毎月母に手紙を書きましたが 29歳のときはじめて母から手紙をうけとり 声をあげて泣いたこと 覚えてます。

 両親は1999年 同じ年に他界しましたが 2月と9月にあった葬式は知らされませんでした。
翌年 3月友達のお母さんからの電話で両親の死を知らされました。

それから10年後の今 私は父に対して思うことは 父は私以上に苦しんだこと 私が忘れようと努力した以上に
父はその悪夢を忘れようと努力したことを 察する心の余裕がでてきました。

今 完全に父を許していけるような 気がします。
父は霊界から 私を応援してくれていると思います。

父がとても慕わしく感じられる 今日の一日でした。

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2011年2月25日金曜日

最近 韓国ドラマ”19歳の純情”に はまってしまって、、、、、、、、、、、

最近韓国ドラマ ”19歳の純情”にはまってしまって 更新できませんでした。
韓国人の喧嘩早いこと 自己主張の強さに圧倒される私ですが 15人中1人は深い洞察力 透視力をもつ人がいるなあと
そして その深さは日本人には到底及ばないと思いました。

ドラマを見るのも 人間研究に大いに役立つものです。
私は ドラマの中でどの人物なのかなと思ったりして、、

純愛に対して 主人公が 強く貫く愛もあれば いさぎよく相手のために身を引く愛もあるという言葉が心に残りました。
おじいちゃんの純愛には感動しました。
夫に対する私の姿勢ももっと 純愛表現していこうと思いました。

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2011年2月20日日曜日

心の四季の歌

”永遠の命を奪うのは誰””あって気づかない信仰の自由” は 画面は同じですが 内容は違います。
あって気づかない信仰の自由に載せたビデオは  後藤 タケミチさんが作られた拉致監禁の歌です。

ぜひ聴いてみてください。 そしてその後 心の四季の歌も引き続き聴いてください。

暖かい陽だまりで日向ぼっこをするような 私たちの心情を神様の心情につなげてくれる歌です。

2011年2月12日土曜日

現実が理想とかけ離れていることを嘆く前に、、、、、

現実が理想とかけ離れていることを嘆く前に 現実を神から与えられた"自分の成長への最高のプレゼントとして受け入れることが どんなに大切なことか。

最初から 理想なんてありえないのだから、

理想像への一歩一歩の足跡が どんなに自分の人生を輝かせてくれるだろうか。

たとえ 不可能と思われるような理想郷であっても、 たとえそこにたどり着く前に命朽ち果てるとしても、
信じて  涙ふきつつ 笑いながら 歯をくいしばって 感謝しながら歩んだ一歩一歩を 永遠に神様に誇れる者となろうと
思いました。